地元の横浜南西部(栄区、港南区)には、この辺りでは一番高い円海山を水源として、相模湾沿いの鎌倉に流れる柏尾川(かしお)と横浜港沿いの桜木町に流れる大岡川があります。さらに柏尾川の南側の支流として「いたち川」、大岡川(上流は日野川とも呼ばれます)の支流として笹下川(ささげ)が、それぞれ流れています。
いまでは、いずれも街中を流れる川として治水が整備され、柏尾川、大岡川はともに両側の堤防に長く桜が植えられて花見の場所として親しまれています。いずれの川も、沿道は私の散歩道にもなって四季を楽しませてくれています。
「いたち川」については、以前からちょっと変わった、(子供にも)覚えやすい名前の川だな、と思いつつ、文字通り、その昔動物のいたちが近くに多く棲んでいたのかな、くらいに勝手に想像していました。
最近、地元新聞で、「鎌倉時代、この地域は、鎌倉から北の相模、武蔵の国に通じる鎌倉街道が通る交通の要所であり、軍事戦略上も重要な場所でした。そのため、旅人が「いざ出立」として安全を祈る儀式を行ったことから、「イデタチ川」と呼ばれていたそうです。それが時を経て「いたち川」に変化したと考えられています。室町時代の記録によると、関東公方が武蔵方面へ出征する際に「いたち川の宿」で昼食をとり、安全を祈る習慣があったとも伝えられています。」と知り、遅まきながら、名前の由来に納得した次第です。
たまたま、5/24にもいたち川沿いを歩いていると、写真のような看板を見かけました。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した吉田兼好(1283~1352年頃、京都生まれ)もここを訪ね、「いたち川」の名を詠み込んで以下のような風流な歌を残しているそうです。兼好法師もこの川の名前に興味をもったのかもしれません。
いかにわが たちにしひより ちりのきて
かぜだにねやをはらはざるらん
私が旅に出てからだいぶ日がたったけれど
私の寝室にもさぞかしほこりが積もっているだろうな
風が吹き払ってくれることもないだろうし (詩碑より引用)
この川が700年前から地元の人々の生活、祈りや旅の記憶に関わっていたことがうかがえ、日頃から何気なく通るところにも生い立ち、由縁を感じたところです。
この日は、10,000歩コースでした。
そろそろこの河原では半夏生が見られます。
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