6/24にはある株主総会に出るため赤坂見附にでかけ、その帰路に、気になっていた新橋汐留にある「旧新橋停車場 鉄道歴史展示室」に立ち寄りました。先回新橋に来た時には行きそびれた処です(注)。
日本の鉄道発祥の地 汐留にあるミニ博物館で、1872年に開業した日本初の鉄道ターミナル「新橋停車場」の駅舎を忠実に再現して2003年に作られた施設です。この遺構は、汐留地区の再開発による一連の工事で発掘されたそうです。
館内では、鉄道の黎明期からの歴史を、発掘された遺構や出土品、当時の資料などを通じてそう広くはないフロアですがしっかりと展示されています。床の一部はガラス張りになっており、開業当時の駅舎の場所に、積み上げられて基礎石もそのまま保存されています。
1階の一部には、いま海外でも人気なこともあるのでしょうか、サントリーさんの「お茶文化史展」も企画中で、企業の支援もあるようです。基本的には、(公財)東日本鉄道文化財団によって運営されています。
感心したのは、当時鉄道開設するために英国から技術者を招聘したそうですが、その一人エドモンド・モレルは当時29歳で1870年に来日し、開通直前に肺結核のため日本で30歳で亡くなられ、横浜の外人墓地に夫婦で今も埋葬されているそうです。指導的役割を果たしかなりのハードワークだったと思うと、当時の英国政府と英国人の強い意志とグローバルなフロンティア精神、技術者魂のようなものを感じます。それが大英帝国に繋がるのかもしれません。枕木として、英国ではオーク材が主流だったところを、彼は、日本の国情に合わせ栗の木にしたそうです。
また、定期的に企画展も開催されているようで、現在は第66回目で「日本海縦貫線100年展」が開催中でした。展示室の裏手にはレールや全国の鉄道網の測量起点となる「0哩標識」(ゼロマイルポスト)、プラットホームも復元されており、日本の鉄道の原点を間近に感じられます。また、次の機会に立ち寄ると別な趣向が楽しめそうです。
たまたまですが、その後帰りに桜木町駅(元の(初代)横浜駅です)で地下鉄に乗り換える際に駅舎内の通路で1904年当時の横浜駅舎などの写真を見かけ、こんなこともあるものだと思わず苦笑いしました。当時の横浜駅舎は、さっき見たばかりの再建された旧新橋駅舎と全く同型でした。多分、当時始発と終着駅を同型の駅舎にしたようです。今流の新橋-横浜間の珍道中でした。
この日は、11,800歩コースでした。赤坂見附から四谷まで、上智大学横の外堀土手の石垣を久々に歩きました。遊歩道になっており、緑陰のなかこの時期よい散歩道です。
(注)本年2025年5月12日に、新橋での記事を下記のように本ブログにアップしていました。
新橋古本まつりと古切符と「ガード下街」の今
企画展[日本海縦貫線100年展」
が開催中でした。北陸本線、信越本線、
羽越本線、奥羽本線が「日本海縦貫線」
として一本化され、大阪から青森まで
特急「白鳥」で繋がったそうです。郷里に
近い敦賀⁻福井間の電化祝賀の昭和37年の
写真など懐かしく鑑賞しました。この時には
同時に北陸トンネルが開通しました。郷里で
当時のニュースをかすかに覚えていす。この頃
東舞鶴ー金沢間直通の急行もできました。
その時、舞鶴にいて世界が一気に広がったように
思った記憶があります。
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