6/2は、1859年に日米修好通商条約(注)により横浜が開港されたことを記念する横浜開港記念日で、市内の小学校は休校でした。これに因んで5/31-6/2には横浜開港祭2025が臨港パークを中心にみなとみらい21地区ほかで行われ、様々なイベントに多くの子供連れで賑わいます。今年が第44回だそうで横浜市や横浜開港祭協議会など地元の支援企業・団体もかなり力が入っていました(参加者には57ページのガイドブックが配布されます)。
イベントの一つとして、近くに住む孫の通うダンス教室の発表会も開港祭会場内で行われるとのことで、会場の臨港パークにでかけました。これまで横浜開港祭は報道では見聞きしていましたが、海沿いの広々とした敷地(新港の埋立地)にきちっと整備された後の臨港パークに来るのは初めてでした(長く工事中でした)。
発表会が終わった後に臨港パークの海岸沿いに出ると、海上保安庁の放水艦「ひりゅう」と横浜市消防局の消防艇「よこはま」が沖に揃って停泊していました。後でわかったのですが、「官公庁艇パレード」イベントとして、放水のデモンストレーションや海難救助の公開訓練(不審船捜索でした)の開始直前で、たまたまでしたが幸運でした。
この日は、11,500歩コースでした。
なお、昨年2024年5~6月の横浜開港月間でのハマフェスについては、当ブログに下記のような記事をアップしていました。
ハマフェスY165
海上捜査艇の海難救助デモ。左奥が双胴船
構造の伸縮式放水塔を搭載した放水艦
「ひりゆう(FL-01)」
「ひりゅう」(左)と「よこはま」ほか官公庁艇が
勢揃いです。中央奥はベイブリッジ、右奥が
本牧ふ頭で旧積載機ハンマーヘッドも
見えます。
ペルー移民100周年記念碑「リマちゃん」。
リマ市にはお姉さんの「さくらちゃん」像が
建立されているそうです。ペルーへの
最初の移民船も横浜から出向したとのこと。
正面舞台では、横浜市消防音楽隊が演奏中でした。
臨港パークの海岸線。中央奥の高い建物が
ホテルパシフィコ横浜、その手前が国際展示場
で、海岸線の突端に浮かぶのが「ぷかり桟橋」
です。
(注)日米修好通商条約と横浜開港について
最初に調印された日米修好通商条約では、1859年7月4日に米国に開港することになっていましたが、結局米、蘭、露、英、仏の5か国に対して旧暦7月1日(新暦6月2日)に開港することになりました。もともと、神奈川が開港の候補地とされていましたが、東海道沿いで神奈川宿にも近いことから外国人とのトラブルが予想されたため、当時、辺鄙で取締りやすい横浜の地が選ばれました。横浜は水深も十分で港として優れていたため、開港後は急速に発展しました。当年の開港当日には特に祝賀行事は行われませんでしたが、1年後の万延元年6月2日に、山車や手踊りで街中あげて開港を祝ったのが、開港記念日の始まりです。(ガイドブックから引用、編集)
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