先日の散歩では、横須賀市の南西端にあり相模湾に面した天神島で自生するハマユウ(一般にはハマオモトと呼ばれます)の開花をみてきました。JR逗子駅からバスで三浦半島を南に40分程行った佐島地区にあります。ハマユウが自生するのは日本ではここが北限とのこと。日本の西や南の地域では海岸でよく見かけますが、開花をみるのは初めてでした。いま7月が開花期で9月には実をつけ、その実がコルク質になっていて海に浮くために流されて広く繁殖していくとのこと。横須賀市の市の花になっているようです。6本の雄しべ、雌しべともに青紫の細長く小さな方形のもので、ちょうどいま見られました。花茎の先の花弁も細長く白い半円状で海辺によく合います。
天神島の南側には、ヨットハーバの佐島マリーナがあり、その一角にあるホテルの1階の「カフェモア」に、久々に立ち寄っていきました。20年ほど前にはここでたまに食事をする機会があり、当時この近くでしか獲れない、長いハサミをもったアカザエビ(手長エビとも呼ばれ、相模湾、東京湾、三河湾が産地とあります)の料理を楽しんだことがあります。今回久しぶりにここで軽い昼食をとった折にスタッフに確認したところ、コロナ禍のこともあったのでしょうか、今のディナーメニュでは扱っていない、とのことでした。
この日は、9,600歩コースでした。
2022年7月30日土曜日
天神島のハマユウと佐島マリーナ
2022年7月29日金曜日
観蓮会朝の蓮風景
(関連記事をこのブログ7/17の「観蓮会の前の三渓園蓮池」にアップしています)
ました。この駅には3か所で営巣している
2022年7月26日火曜日
上野不忍池の蓮
岩波ホールからの帰りに、途中にある上野の不忍池に寄ってきました。ここは、都内でも蓮の名所で、規模も大きな蓮園になっていました。園内の説明によると、延宝5年(1677年)に出版された「江戸雀」という本に
涼しやと池の蓮を見かへりて 誰かは跡をしのばずの池
と出てくるので、この頃にはここに蓮が植栽されていたといえるそうです。当時も今も変わらない洒落を利かして歌で当時の様子が伝わってきます。開花の時期は丁度でしたが、訪ねたのが3時頃でその朝に開いた花がしぼむころでしたので、蕾の花を多く見かけました。蓮は、開花して数日は朝夕に開閉をくりかえし開花後4日くらいで、夕方にも閉じなくなるそうです。
この日は、岩波ホール行も含めて11,900歩コースでした。
2022年7月24日日曜日
岩波ホールでの観納め
先日は、この7/29に閉館する岩波ホールで、最後の公演映画「歩いて見た世界ーブルース・チャトウィンの足跡ー」を観てきました。上映に先だって閉館の挨拶のメッセージが流れました。1968年にできた岩波ビル内の岩波ホールで1974年から映画事業をはじめ、48年間に65の国・地域の274本の作品を上映してきたこと、諸般の状況から閉館せざるをえなくなったこと、これまで共通しているのは「生きる力を与える作品」であること(初代支配人の高野悦子氏)、などが簡単に説明されていました。
ホール入口では、これまでの全ての上映作品のパンフレットの掲示とともに岩波ホールの歴史も展示されていました。設立の趣旨として、当時、欧州で始まった世界に埋もれた名画を世に出す運動「エキプ・ド・シネマ運動」(仏語で「映画の仲間」の意味)の動きに呼応して、ミニシアターとしての活動を開始したそうです。エキプ・ド・シネマ運動では、発足当時には商業ベースにはなりづらいと考えられている名作を上映することを目的としており、それをも受けて、岩波ホールの上映作品の選択では、以下の4つの目標を掲げてきたとのこと。
・日本では上映されることの少ない、アジア・アフリカ・中南米など欧米以外の国々の名作の紹介
・欧米の映画であっても、大手興行会社が取り上げない名作の上映
・映画史上の名作であっても、何らかの理由で日本で上映されなかったもの。またカットされ不完全なかたちで上映されたもの。
・日本映画の名作を世に出す手伝い
1970年代の高度成長期の当時に、足元をしっかり見つめ、よいものを淡々と発掘する、このよう姿勢が新しく思えて興味をもった記憶があります。
「歩いて見た世界ーブルース・チャトウィンの足跡ー」は、世界にいまも実在する神秘な世界を訪ね歩いた英国の紀行作家ブルース・チャトウィンの主な著書を材料にして独国の映画監督ヘルツォークが8章に分けて映画にしたドキュメンタリでした。パタゴニア、オーストトラリア、ケニア、北極圏などの原住民の風習について、関係者に、生前にチャトウィンと親交もあった監督自身がインタビューする形式で話が進められます。難しいテーマをテンポよく切れの良い映像で現場が再現され観客が引き込まれます。時代の進歩のなかで西欧文化の進出に批判的な立場から悩みながらもルーツを掘り下げていく、なかなか説得力のある映画でした。チャトウィンが生前愛用した革のリュックを譲り受けたヘルツォークが、リュックをもって次々と神秘の現場を訪ねる風景はリアル感が伝わってきます(パンフレット裏面左下の写真です)。
なんとか、これで閉館を静かに見送れます。
(関連記事をこのブログ5/31の「岩波ホールの最終公演」でもアップしています)
のも岩波ホールだったとか
岩波不動産ビルの10階に
あります(神保町交差点から)
2022年7月22日金曜日
自生ヤマユリ
先日、大磯近くの一色小学校の裏山にあるヤマユリの自生地を観てきました。華やかさというよりも力強さを発散していました。地元のボランティアの方々とともに一色小の生徒達が栽培、日頃の下草刈りに協力しているそうです。ヤマユリが神奈川県花であることをあらためて知りました。
山を下りた校庭の片隅の池では睡蓮の周りをミズスマシが遊んでいました。
2022年7月21日木曜日
夏のプチパン展
10インチサイズ100点のコンパクトな水彩小品展でした。 企画した方によると、夏の画展は、額縁の大きさ、色(白でした)を統一し、また透明感のある水性画材(水彩絵具、アクリル、岩絵具が含まれるようです)の作品に限定して公募していて、冬1月に開催される、油絵や装飾も含めた包括的な展示に比べて(このブログでも今年1月17日に「野毛坂での鏡の妙とプチパン展」として記事をアップしていました)、夏の涼をイメージしているそうです。小品をお手軽な価格で販売もしていることから、初日には、早くお気に入りを買い求めたいという観客で列ができたとか。
2022年7月17日日曜日
観蓮会の前の三渓園蓮池
今年の三渓園の観蓮会は7/22~8/14の金、土、日曜日と休日に開催されますが(この期間、朝7時に開園します。実際の開花はさらに早いそうですが)、天候の関係で開花が早まっていると聞いて、7/17の雨あがりに様子見に短時間でしたが立ち寄ってきました。咲きぶりはまだやや早く、観蓮会の頃が丁度かもしれません。
ここは、昨年は、コロナの関係で前年に十分に手入れができず、ザリガニが多く発生し蓮の茎をちぎってしまい、残った株がちらほらという状況でした。今年は、昨年にしっかり手入れしたとのことで、ほぼ例年に戻って、青々とした大きな葉が伸び伸びと茂り、よい蓮池になっていました。涼しげに葉陰に咲く蓮の花も見かけました。
ここの奥の一角では、15年ほど前まで観蛍会も催され、わずかでしたが蛍をみることもできました。
この日は、9,800歩コースでした。
2022年7月16日土曜日
ハスの葉シャワーと象鼻杯
7/16には、大船で スケッチのレッスンのあとに、大船フラワーセンターに寄ってきました。
たまたま、ここが神奈川県農業試験場として開園60周年とのことで、広場ではイベントが企画されていましたが、生憎の雨で臨時休業状態でした。
今年のハスは、例年より開花が早いそうで、ピークをやや越している感じですが240株は健在で順番に開花しています。また、このところ賑わったバラ園、花菖蒲園、睡蓮池では開花を終え、バラでは多くの種類が実をつけていました。
イベント用でしょうか、入口に「ハスの葉シャワー」が展示されていました。切り取ったハスの茎には、根のレンコンに空気を届けるための通気口が大小多数通っています。ハスの茎に下から水圧をかけると(水道水です)、通気口が葉脈まで通じていて葉の先からシャワーのように水を噴射して、写真のようになります。初めて見ました。
10年程前に、鎌倉東端にある光明寺で「象鼻杯」(ぞうびはい)を経験したことがあります。ハスの葉の中心部に穴を開けて、修行僧が本堂の上から葉に酒を注ぐと通気口を通して下の茎からありがたくいただいて飲む、というもので、ハスの香りが伝わるということでした。そのとき、酒の銘柄がなんと「光明寺」となっていたのには苦笑いした記憶があります。飲むときに大きなハスの葉と茎を持ち上げたような格好になり、象が鼻を高く上げた姿に似ていることからの命名だそうです。うまい命名だと思いましたが、三国志の魏の国由来の飲み方とか。
その他、遊歩道では、冬には真っ赤に紅葉するサボテン「カランコエ」(デザートローズと呼ばれるそうです)も色づき始めていました。
この日は、9,400歩コースでした。
「京橋の碑」と紫陽花
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大阪を発つ 6/12には、中之島のNCBホテルを早めに出て、大阪でいまアジサイが評判と聞いた鶴見緑地公園に立ち寄りました。京阪中之島駅から京橋に出て大阪メトロ長堀鶴見緑地線で鶴見緑地駅まで行くと、ここはその駅前近くにあります。大阪市の東側で鶴見区と守口市にまたがるとか。鶴見緑地は...