例年ここで春一番手の蝋梅は今年は変調で蕾のままちじれているようでした。ここを管理している日比谷花壇でも予測できない事態だったそうです。観賞用の花木の栽培でも気候変動などの影響が出ているのでしょうか。
ここには、30本ばかりの梅林があり、それぞれ種類が違います。開花時期もずれているようで鑑賞期間を長くしているようにも見えます。
この日では1~2分咲きといったところで、これからが楽しみです。
この日は、8,200歩コースでした。
鎌倉の梅巡りの途中に鎌倉宮にも立ち寄りました。そこの門前で、河津桜がすでに開花しているのを見かけました。
鎌倉宮は、鎌倉では珍しく宮内庁直轄の神社です(神奈川県で唯一の官幣社で、なかでも官幣中社とのこと)。明治天皇が明治2年(1869)年に護良親王(もりよししんのう 、もりながしんのう、大塔宮)を主祭神として祀っています。護良親王は後醍醐天皇の第三皇子で、建武の新政期(1334年〜)には征夷大将軍にもなりましたが、後に足利尊氏と対立し、ここに(当時は東光寺でした)幽閉、28歳で非業の最期を遂げたとされています。
鎌倉宮の鳥居の前には、数本の河津桜が植えられており、まだ幼木ながら鎌倉で最初に咲く桜だそうです。この日で五分咲きくらいでした。
この近くでは、大船で交配し生まれた早咲きの玉縄桜(たまなわ)もありますが、これほど早咲きではないようです。
先日 1/18には、撮影会に先立って梅の咲き振りをみに明王院(みょうおういん)も訪ねました。鎌倉の梅巡り5つ目です。
ここは、今回の梅巡りでは鎌倉駅から最遠の場所にあります。金沢八景行きバスを泉水橋で降りて15分程歩いたところにある小さな、山寺を思わせる、真言宗の寺です。創建は1235年で幕府の鬼門除けの祈願所として第4代将軍藤原頼経によって建てられたそうです。不動明王を中心に五大明王を祀ることから「五大堂明王院」と呼ばれるとのこと。
境内の立派な梅の木は、この日にはまだ花は未開でした。ただ参拝途中では、五分咲きほどの梅の木をいくつか見かけました。
先日には、写真仲間から、フォトアドバイス社の「デジタル一眼レフセミナー」DVD全14巻を拝借しました。RAW現像・ワークフロー支援ソフトとして、これまで使ってきたNIKON社のNX-Studioに加えて、Adobe社のLightroomも使ってみたいと思いはじめて相談していたところでした。これがきっかけで、最新ではないとのことでしたが、シリーズ丸ごと有難くお借りできた次第で、感謝です。
これをいい機会に、1巻2.5時間のセミナーを順繰りゆっくり聴いて楽しみながら、あらためて学び直したいと思うところです。
このなかの1巻から、「Lightroom」は、それまで暗い暗室(Darkroom)で長く行われてきた写真現像を、明るい環境で可能とするソフトウェアツール、暗室を明るくする、という意味、コンセプトを込めた製品名と知り、その意図に感心しました。その機能も勿論ですが。
先日 1/18には、撮影会に先立って梅の咲き振りをみに浄妙寺も訪ねました。鎌倉の梅巡り4つ目です。
ここは、鎌倉駅から金沢八景行きのバス「浄明寺」で降りるとすぐ前にある便利なところです。鶴岡八幡宮から鎌倉街道を歩くと20分程かかります。
浄妙寺は、鎌倉幕府ができる直前1188年に、頼朝の重臣の足利義兼(政子の妹の夫)が開基しました。当初真言宗の寺でしたが、後に臨済宗建長寺派の寺に改称したそうです。足利期には、大きな敷地をもち多くの塔頭を構え栄えたようで、今も町名に「浄明寺」(寺の名前そのものとするのははばかられ一字違えて「浄明寺」になったとか)が残っています。浄妙寺の名前は、足利尊氏の父貞氏の法名に由来するようで、貞氏そして弟の直義の墓もここにあります。このような足利家菩提寺との所縁もあり、鎌倉五山の第五位の寺院となっています。室町時代には浄妙寺の東側に足利公方屋敷が構えられ、尊氏やその子孫が居住していたそうです。
また、ここは、幾つかある「鎌倉」の地名のゆかりの地でもあるようです。途中に「(藤原)鎌足の桜」も見かけました。どうも、鎌足が鹿島神宮参拝の途中に、夢のお告げにより、鎌槍(鎌付きの槍)をこの境内に埋めたことに由来するようです。その場所には、いまもこの裏山に「鎌足稲荷社」が残っているとか(参考)。
この時期の境内には、白梅が開花したばかりでしたが、広い前庭や本堂奥の庭園の古い梅には風格を感じます。
ユニークなのは、本堂の奥の山間にカフェがあり、浄妙寺が所有し経営しています。「石窯 ガーデンテラス」といいいますが、元貴族院議員の洋館跡を1階はテラス付きのカフェに、2階はパーティ会場に活用していました。眺めも良いことから石窯で作ったパンをウリに、女性客やカップル客には結構繁盛しています。ちょっと店員に質問すると2階にも案内され、この館の生い立ちと前向きなセールストークをしっかり聞かされてきました。これもこれからの仏教寺院のひとつの多角化のスタイル(とくに、多くの土地資産を保有する寺では)、有望な副業なのかもしれません。
(参考)鎌足稲荷伝説です。
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura042/jyomyoji-kamatari.htm
先日 1/18には、撮影会に先立って梅の咲き振りをみに瑞泉寺も訪ねました。鎌倉街道の金沢八景方面の梅巡り3つ目です。
ここは、鶴ケ岡八幡宮から歩いて30分、鎌倉駅から金沢八景方面行のバスで鎌倉宮まで行くとその先歩いて15分程のところにある臨済宗円覚寺派の古寺です。鎌倉公方の菩提寺だったとか。ほどほどの距離をゆっくり歩いて季節の花を静かに楽しみたい時には格好です。最近言われる鎌倉を訪れる観光客もここまで来る人は多くないようです。とくに裏山の楓と境内、参道の梅が評判ですが、蠟梅、水仙、紫陽花などもみられる「花の寺」だそうです。花木の植栽や文人とのかかわりが多いことでは北鎌倉の東慶寺に似たところがあります。また、梅の頃の本堂は鎌倉スケッチの名所でもあります(最初の写真の角度です)。境内は、夢窓疎石によって場所が選ばれ(3方は山に囲まれ西に富士山が見えるとか)、開山とともに作庭された、鎌倉に残る唯一の鎌倉時代の庭園だそうです。ゆったりした良い庭です。
この時期は、梅はほんの一部早咲きの白梅が見られましたが、受付の方によると、平年は2月末が見頃だそうですが、昨年が高温だったことから、今年は2月中旬が、紅梅、白梅、黄梅が見頃だろうとのことでした。それにしても、このところの気候変動・温暖化でどう変わるかわからないとのこと。昨年の楓の紅葉は色付く前に縮れてしまったそうです。
1/18には、撮影会に先立って梅の咲き振りをみに杉本寺も訪ねました。鎌倉の梅巡り2つ目です。
ここは奈良時代の天平6年(734年)に行基によって開かれた鎌倉最古の寺で天台宗大蔵山杉本寺です。このこともあるのでしょうか、阪東札所第一番の寺だとか。
苔むす本堂や階段は印象的でした。ここは何度か訪ねましたが、そのたび、長く修繕工事が行われテントの中の本堂を拝んだり、階段前で遠くから部分的に参拝したりしきました。工事を終えて全体を観るのは初めてです。
梅では、境内横に何本かありますがまだ1分咲き程度でした。石段沿いや本堂の周りに寒緋桜が3月中旬とのこと。
1/18には、鎌倉二階堂地区にある荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)を訪ねました。2月に予定しています仲間での梅の撮影会の下見を兼ねて、梅の開花状況をみるため、鎌倉で梅の見所とされる明王院、浄妙寺と石窯 ガーデンテラス、杉本寺、荏柄天神社、鎌倉宮、瑞泉寺を巡ったなかでこちらに立ち寄りました。他の寺社については順にアップしていきたいと思っています。
ここは日本3古天神のひとつだそうです(大宰府天満宮、北野天満宮とこことのこと。3番目については他にも説があるようですが)。本殿は江戸時代初頭に鶴岡八幡宮の若宮が移築されたそうです。
荏柄天神社は、地元では評判の学業成就の神様でもあり、菅原道真公の面影を描いた絵馬の多さには驚きです。丁度受験期と思われる若者何人かが参拝していました。受付の年配の方によると、境内、参道、裏山の梅が樹齢が高くなって世代交代のための植え替えに迫られているそうです。そこで、1句、
受験生 天神様に 満を持し
荏柄庭 木肌苔むす 梅開花
この日の一巡では、19,000歩コースでした。久々に少々くたびれました。
6/2午後には、7月の写真展への出展作のプリント色合わせのために、Fフォトギャラリー銀座を再度訪ねました。 その帰路には、銀座の隣町の京橋に出て、JR東京駅まで歩きました。途中、銀座中央通りと首都高速の交差点で、街中で咲き始めたばかりの紫陽花を見かけました。 ここは、江戸期には...