2024年5月26日日曜日

潮来のあやめまつり

 5/24には、水戸で午前中に用があり、その帰路に潮来に寄りました。水戸駅から鹿嶋臨海鉄道の大洗鹿嶋線で鹿島神宮駅まで行き(1.5時間弱かかります)、JR鹿嶋線に乗り換えて2駅目が潮来駅になります。鹿島神宮駅での第3セクターの鹿嶋臨海鉄道とJR鹿嶋線の乗り継ぎは連絡が悪く、すぐに1〜1.5 時間待ちが起こり、距離の割に時間がかかります。
丁度、「第73回水郷潮来あやめまつり」が、5/17〜6/16 に、潮来駅から10分程歩いた水郷潮来あやめ園で開催中でした。時期的には、二〜三分咲といったところで、1~2週間早かったようです。咲く時期は、アヤメ、杜若(かきつばた)、花菖蒲の順だそうで(花弁の形、色から明確に区別できるようです)、この日は、アヤメが終わり(しっかりと実ができていました)、花菖蒲の開花に移る時期だったようです。
潮来は、江戸期の宿場町でもあり、常陸の国で獲れた米を江戸に運ぶ、霞ケ浦や北浦の水運の拠点だったそうです。ここには、50年前の学生時代に立ち寄った記憶がありましたが、印象としては、その時に比べやはり観光地化されたかなという感じがしました。会場は、霞ケ浦から流れ出る北利根川にそそぐ前川(運河のようです)の流域に造られた小じんまりした公園で、水雲橋、雨情橋など橋脚の高い丸い橋が7つかかっており、そこを手漕ぎのろ船で遊覧できます。日によっては嫁入り船が今もイベントとして企画されているようです。
次の機会には、潮来郊外にある長勝寺や潮音寺などの史跡にも足を伸ばし、北利根川対岸の水郷佐原のあやめ園にも行ってみたいところです。
帰りは、潮来駅から佐原駅に出て成田線で成田駅まで行き(我孫子ー成田ー佐原ー松岸ー銚子間の成田線の方が成田から佐倉・千葉方面行より便利なようです。茨城県内の交通を優先しているようでもあります)、少々歩いて京成成田駅から押上に出て京急線で横浜までたどり着きました。どうも、JRだけでは連絡がよくなく、この地域の移動ではJRと私鉄の併用が良さそうです。
この日は、16,000歩コースでした。


花菖蒲は2〜3分咲きでした。花弁が大きく、
その弁元が黄色いのが特徴で、
種類が多いとか。

水雲橋。左側は藤棚です。さらに左側に
前川が流れています。


手漕ぎろ船もゆったりとしています。この
左下先の前川下流では、北利根川への
前川水門があります。水雲橋から撮影。

すっかり初夏の風です。

潮来駅で見かけた「豊漁祈願 海の神
鮫浦太郎」
とのこと。ねぶたですが
地元の民芸品なのでしょうか。

2024年5月25日土曜日

こども植物園のバラ園とアンネのバラ

 5/22には、私にとっては手近なバラ園のひとつのとなっている横浜市立こども植物園を訪ねました。自宅から1時間弱でたどり着けます。
秋にはここで柿の木の30種ほどのコレクションを紹介する柿展があり、柿好きとしては何度か来て、その折に秋バラも観たことがありましたが、ここでの春バラははじめてです。時期的なピークは少々過ぎていましたが、咲きっぷりと香りを十分に楽しめました。
ここは、子供の植物見学用に、日頃から見かける植物を、花木園、生垣園、薬草園、果物園、竹園、シダ園、自然観察林、水生植物園、バラ園、アジサイ園、温室などのゾーンに分けて栽培し、教育用にコンパクトに展示されています。管理棟には、子供たちに授業もできそうな大きな部屋も準備されています。
バラ園の入口では、アンネのバラも満開でした。このバラはつぼみから散るまでに次第に色が変わるのが特徴で、つぼみの深紅、開花は黄金色、散り際はピンク色になります。 そして、散り際のピンク色が平和への願いを象徴しているとされ、 そこには、この種を創られたアンネの父親が、アンネの短い生涯を通して実感された「命の尊さ」、「平和の大切さ」への気持ちが込められているそうです。(注)
この日は、黄金色からピンク色に変わっている最中といったところでした。

--------------------------------
(注)説明によると、アンネのバラは、自然を愛し、とりわけバラが好きだったアンネ・フランクの「形見」として父親によって捧げられたバラで、日本へは父のオットー・フランクさんから寄贈された物が広まり、愛と平和のシンボルとなっている、とのこと。


入口では「アンネのバラ」をみかけます。
 

2024年5月23日木曜日

水彩画展ー鎌倉・江ノ島スケッチー


 ここ10年あまり通っているペン彩画教室の一色先生の個展がアーティサンズ北鎌倉で始まりました。5/23には、早速に出かけました。横須賀線北鎌倉駅を降りて円覚寺の前を通り過ぎて明月院の参道との交差点近くにある画廊です。
今回は、鎌倉、湘南のスケッチ画に絞って、F0からF10くらいまでの小さいサイズの絵を30点ほど展示されていました。とくに、現地で描いたペンタッチのスケッチ画がメインで、臨場感とともに先生の精力的な作画姿勢が伝わります。日展、白日会展に出品されるF100以上のサイズの作品は、会場の広さもあってか、ここではひかえられたようです。滞在中にも、来場者から、早速に、購入申し込みが出ていました。
帰路、近くの明月院にも足を伸ばしてきました。紫陽花や花菖蒲が評判の寺ですが、こちらは少々早かったようです。入場券を買うときに受付の方からは、「この頃が観客で混んでなくて、また、いいですよ」と慰められました。いろいろと言い方はあるものです。
この日は、8,900歩コースでした。

一色先生の水彩画展です。

いただいていた案内です。

明月院境内の紫陽花も色づき始めていました。

本堂丸窓の借景です。

明月院本堂


開山堂

2024年5月22日水曜日

チャイブ(chive)の花

 5/22には、近くの市立こども植物園でバラ園が見頃と聞き、出かけました。戸塚駅からバスで15分くらいのところにあります。
バラはやや盛りを過ぎた感じでしたが、管理棟のそばのミニハーブ園で、チャイブ(chive)を見かけました。チャイブについては、自分で長く使っているメールアドレスのドメイン名に…@chive.…とその名前が含まれていることから、ハーブの一種で、形は細いネギのようで玉ねぎに似た味がする、という程度の簡単なイメージと、偶然に払い出されたとはいえ、なんとない縁繋がりのような親しみを持っているだけでした。
今回、実物を観たのは初めてで、しかも、いまが開花期で、ネギ坊主のような清楚な青〜紫の花をつけていました。多年草のハーブで香りも良く、葉も花もオムレツ、サラダ、卵料理、スープ、マリネといった料理によく用いられるそうで、今更ながら、チャイブを実物で認識した次第です。
この日は、5,800歩コースでした。


チャイブ
chive の株です。

2024年5月20日月曜日

はじめての浅草神社例大祭 三社祭

 5/19には、浅草神社の例大祭 三社祭の最終日でしたので(5/17〜5/19)、曇り空ながら、混雑を避けて早朝に出かけることにしました。実物を観るのは私には初めてです。今年は、4年振りの開催ということで(3年はコロナ禍で、昨年は雨で開催できなかったそうです)、主催者、法被姿の担ぎ手、また観客も、それぞれに期待が大きく力が入っているように思えました。とくに担ぎ手さんは、男性も女性も背筋が伸びています。
44ある地元町会から神輿100基ほどが、浅草寺・浅草神社(「三社さま」。かつては、平安末期頃の神仏同体説により「三社大権現」と言われて神宮寺であった浅草寺と一体でしたが、明治初期に浅草神社となったそうです。最後の写真のパンフより)の門前町を、一之宮、二之宮、三之宮の3ルートに分けて練り歩きます。3ルートの地図(神輿の巡行ルート図を渡御図(とぎょず)というそうです)も通過時刻を添えて公表されており、はじめての観客でも分散して混まない場所を選んで安心して観れるようになっています。
この日は、天気が下り坂で、夕方には小雨の予報を聞いたことから、朝7時半頃到着し、10時半頃まで滞在し一巡してきました。
神輿は、飾りは豪華ですが思ったほどには大きくないように見えました。ただ、神輿を支えて担ぐ柱は幅広く縦長に張出していて、多くの担ぎ手を要します。一つの神輿には、先頭にはお祓い役が、そして50〜60人の担ぎ手、白衣の神主役、が同行し、担ぎ手が交代しがら回ります。
仲見世通りの左右にある町会地区に入ると、随所に神輿の格納庫と集会場があり、開始時間まで待機しています。町会地域全体が独特の神域に覆われているように感じました。また、地元の1神社の祭りが地元町会活動に定着し溶け込んで世代に亘って大事にされているなと感じます。以前の同僚に浅草出身者がいて、三社祭の準備が一年中入っていると、嬉しそうにぼやいていたのを思い出しました。
町会を一巡した後、浅草寺境内に戻り、雷門、山門、本堂を回り、混みだす前に引き上げました。帰りの都営浅草駅入口では、出てくる人(担ぎ手と観客)が急増していました。
この日は、8,900歩コースでした。


スタート前の町会責任者の挨拶中。
緊張感が漂っています。

手拍子の後、さあ、出発です。

囃子台車も神輿のあとに続きます。
右手奥は雷門です。

「雷門囃子車」。鐘、笛や太鼓の奏手が
乗っています。
熱気とパワーを感じます。

雷門が渡御のスタート地点のひとつです。

大提灯の下を神輿が通るためか、
提灯の下半分が畳み込まれていました。

仲見世町会の神輿。11時に出発だそうで
待機中です。この後ろには子供用の
小さな神輿も控えていました。

浅草寺山門  宝蔵門です。

山門の提灯も下半分が吊りあげられています。

浅草寺本堂です。浅草神社はこの右手奥に
こじんまりとあります。

浅三東町会の神輿。このような神輿が
浅草地区に100基程ひかえているとは。

浅三東町会の控え台。こちらも
11時出発とのことでした。
街中で見かけました。

一之宮ルートの渡御図(とぎょず)。このような
図が3枚あり、この日程通り3手に分かれて
出発し巡行(渡御)します。
三日間の例大祭祭事、神輿の出発時刻・
場所と神輿を出す町会リストが
コンパクトに記されています。
パンフレットから。「三社のいわれ」にも
寺と神社をめぐる歴史を感じます。。

赤いワニギス

5/18には、スケッチのレッスンの後に、途中にある 大船駅前にあり昭和33年頃から続く、昔ながらの仲通商店街に立ち寄りました。ここで、評判の魚店「鈴木商店」で、愛知産の「ワニギス」を見かけました。
ワニギスというと、この時期にたまに見かける季節の魚で、新潟県以南の日本海、福島県以南九州の太平洋、朝鮮半島南岸辺りで獲れ、アンコウなどの大型の根魚のエサになるそうです。いつも見るのは、写真下半分のように、10cm程度で黒っぽい体表ですが、こんなに赤いワニギスをみるのははじめてでした(婚姻色なのかもしれません)。一見、三陸、福島で獲れる目光(めひかり)に似た魚です。新鮮らしく目が透けて光っていましたので早速に買い求め、焼いていただきました。なかなか脂ののった白味で、格好のつまみでした。余り求める客も多くないのか、えらく安く入手できました。

2024年5月14日火曜日

「棉蒔(わたまき)」を終了

 5/14には自宅庭に棉蒔きをしました。
昨年獲れた綿の実から取り出した種子を2晩ほど温水につけ、種子の周りについた綿を取ったあと、露地植えと鉢植えにしました。去年は路地植えが当たり豊作でしたが、鉢植えは一昨年に比べて不作でした。今年が3回目の棉蒔きになります。
手持ちの歳時記によると、「棉蒔」は5月の季語で「棉の種子は麦刈りのころまでに巻き終える。種子は水につけ、煤(すす)などを塗り畝を浅く立てて蒔く」とあります。綿摘(わたつみ)、綿取(わたとり)は10月の季語、また「棉の花」は7月、「綿帽子(わたぼうし)」は12月の、それぞれ季語になっています。それも、その意味から「棉」と「綿」をうまく使い分けているのには感心しました。

参加する句会のために、下記を投句したところ、

棉蒔や種子の綿取る軒日向

早速に、先生から、以下の指摘を受けました。上記は修正後のものです。
「種子のワタは綿の字で良いですが、「綿蒔き」は、正しくは「棉蒔」ですので、修正しておきます。植物の名前としては、棉の字を使います。」
韻文形式で季節を詠む言葉の遊びとして、言葉を厳密に使い、細かくこだわり楽しむ俳句の世界の一端を見たところです。


昨年収獲した「綿帽子」です。一つの
綿帽子に4~6個の種子が綿の中に
含まれています。

2024年5月12日日曜日

写真仲間での第9回写真展

このところ恒例にしています写真仲間での第9回写真展「瞬(ときめき)のとき」を6/28~7/4に富士フォトギャラリー銀座で開催する運びとなりました。私は、新宿御苑での撮影会のときに撮った「花舞台」を出展することで準備しています。近くにお越しの節には、立ち寄っていただければ有難く思っています。


出展予定の「花舞台」@新宿御苑です。

ご案内ハガキです。

会場情報です。

(追加)7/30には、写真展の出展作品を
集めたフォトブックもできあがりました。

棉の双葉

 今年は5月10日頃に庭先に種子を植えた棉(わた)の木が、5月末には芽を出し双葉の形をしてきました。昨年収獲した綿花を1昼夜温水につけて綿から取り出した種子を使います。 発芽率は1〜2割で限られた種子しか芽吹きません。ようやく双葉になればなったでだんご虫でしょうか若葉を侵食します...