2/8には鎌倉南西エリアの長谷地区で梅巡りをする中で、長谷寺を訪ねました。
江ノ電長谷駅から歩いて10分程のところにある鎌倉のカンバン寺のひとつです。浄土宗単立の寺とされています(奈良の長谷寺は真言宗のようです)。ここは、京都に多い、隅々まで洗練された、地方の寺院を束ねる(ような)、大きな寺院、という感じの寺です。鎌倉ではこのタイプの寺はそう多くはありません。鎌倉は権力の中枢から離れて久しい小都市ですから(この意味では、飛鳥、奈良や長岡京市に近いように思います)、ここには、比較的素朴で簡素な、古くて、小さな寺が多いと感じています。民家の隣にひっそりとあるといった寺、岩山を背にしたこじんまりした庵のような寺などもあり、庶民的な寺も多く残っています。それらには管理が行き届いていないケースも間々見かけますが、それぞれに小さな、人間的な物語・エピソードが沿革として今にしっかりと伝えられています。それが、小さな寺がこれまで続く存在理由のように思います。これらが混在するところが鎌倉の史跡の特徴であり、ある意味で魅力なのかもしれません。一方で、これが、鎌倉が(持続的な維持管理を重視する)世界遺産登録に至らなかった理由のようにも思えます。地元では当時、世界遺産に登録されなくてよかったという声もありましたが。
とまれ、長谷寺の縁起では、奈良時代721年に開山の徳道上人が大和国初瀬の山中で見つけた樟(くすのき)の巨木から2体の観音像が造られました。一体は大和長谷寺の観音像となり、残る一体が衆生済度の願いを込めて海に流されたました。その後、三浦半島の長井浦(現在の初声(はつせ)辺り)に漂着し、それを奉じて736年に建てられたのが鎌倉の長谷寺とのこと。本堂には、高さ9m余りの立派な十一面観音立像(長谷観音)が4階分を貫いて祀られています。
それにしても、奈良の初瀬と三浦の初声の「はつせ」つながりとは知りませんでした。三浦の初声にはかつての同僚が住んでおり、横須賀辺りではよく聞く地名です。
ここは、大きな木造の長谷観音に加えて(日本最大級とか)、よく「紫陽花寺」ともいわれ、他にも時期折々の季節の花も見処です。
そこで一句、
長谷の梅 後光になりて 光る海
梅を撮る 自撮りの二人 空くを待つ
この日も、白梅、紅梅が丁度満開で、ゆっくりと早春を堪能できました。
この日満開でした。
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