2/8には、鎌倉南西エリアの 長谷地区の梅巡りをしてきました。今回は、収玄寺、光則寺、高徳院、長谷寺、御霊神社コースです。以降、印象に残ったところについて、気の向くまま順に訪問記事をアップする予定です。
光則寺は、江ノ電長谷駅から北に10分程歩いたところにあり、長谷寺のすぐ北隣になります。1274年に創建された日蓮宗の小さな寺です。この近くでは日蓮宗の寺院や日蓮所縁の場所(辻説法をした場所、刑場など)を多く見かけます。日蓮宗に心を寄せ帰依した北條家家臣宿屋光則が自身の邸宅を提供したことから、その名が寺名になっています。当時の沿革は下記(参考1)のとおりで、日蓮の師弟愛を思わせます。
本堂前には、日蓮が幕府への建白書「立正安国論」をここで提出したとされ、その経緯、思いが記された3m程の石碑が参道正面にどかんと建っています。日蓮の自筆の手紙から写されたとか、独特の筆跡です。
ここは、瑞泉寺や海蔵寺と共に鎌倉で評判の「花寺」で、参道の桜、本堂前にある樹齢200年といわれるカイドウ(海棠)の古木や、全国から持ち込まれたという230種類に及ぶヤマアジサイなど、も季節に合わせて楽しめるようです。入口には手書きの境内の花マップ「光則寺四季の山野草・茶花マップ」がおいてあるのにはほほえましくも驚きました。開花時期まで記されています。
今回訪ねたのは初めてでしたが、マップを頼りに時期に合わせて散歩コースに組み入れたいと思っています。
この日は、宝戒寺行きを含めて25,200歩コースでした。珍しく、結構歩きました。足腰の元気なうちに巡りたいところを回ろうと思っています。
(参考1) 光則寺の沿革 ードラマがあります。
日蓮上人が佐渡へ流された時、高弟・日朗が捕らえられて鎌倉幕府第五代執権・北条時頼の重臣・宿屋左衛門尉光則の邸内の土牢に監禁されました。
しかし光則は日蓮上人が自らの不運を嘆くことなく、弟子の身の上を案じる心に打たれ(日蓮の弟子に宛てた手紙が残っています)、次第に日蓮宗に心を寄せる様になり、日蓮上人放免後は、邸を寺として日朗を開山と仰ぎ文永十一年(1274)に創建されました。
日蓮上人の著した「立正安国論」は光則の父・行時から、文永元年(1260)に北条時頼に建白されました。
(参考2) 瑞泉寺の訪問記事
https://kinoken33.blogspot.com/2024/01/blog-post_26.html
2024年2月11日日曜日
鎌倉の小さな「花寺」 光則寺での観梅
境内では白梅が見頃でした。
山門。左手には立派な枝ぶりの桜です。
山門手前にも桜並木があります。
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