2025年3月31日月曜日

神代植物公園での撮影会

 3/28には調布市の神代植物公園で桜を主対象とした撮影会を行いました。写真仲間8人の参加でした。
この日は午前が雨、撮影時間帯の午後は晴れ、夜は曇のち雨の予報でしたが、予報以上に午後は好天で、ラッキーでした。事前の雨も、前日までの黄砂を収める効果もあったようで、撮影にとっては、天気、被写体には申し分なく、あとはウデだけといった恵まれた、厳しい状況でした。また、この雨は、このところ岩手、岡山、香川で多発している山火事の鎮火にも恵みの雨だったようです。下見のときに比べると開花も進み桜、季節の花木、野草に加えて、ここで目玉の温室も鑑賞できました。
この日は、16,000歩コースでした。結構歩き回りました。





睡蓮。温室にて。花と葉が同じ絵柄のように
見えます。

東屋からの地元の桜「神代曙」

新旧の対比が面白くパチリ。

武蔵野の雑木林越しに桜並木が見えます。


地上に表出して呼吸をする
メタセコイヤの根「気根」です。

アーモンドの花も満開になっていました。

2025年3月30日日曜日

「栄彩会展」と本郷 「あーすぷらざ」の桜並木

3/30には、俳句仲間の紹介で「 あーすぷらざ」(神奈川県立地球市民かながわプラザ)で開催中の「第26回栄彩会展」を訪ねました。JR根岸線本郷台駅から歩いて5分のところにあります。
油彩、水彩、日本画の展示でしたが、皆さん長い経験者のようで、とくに近くで見覚えのある風景を描いた作品では、切り取り方やタッチ、色調の考え方がよくわかり参考になります。
帰りには、すぐ横の本郷桜並木に寄りました。丁度満開で家族客でにぎわっていました。
この日、東京では桜の「満開宣言」が出たと報じられていました。


背景がアースプラザ(神奈川県立地球市民
かながわプラザ)です。


あーすぷらざの入口ゲートです。力の入った
デザインです。バブル期を思わせます。

2025年3月29日土曜日

港南桜道の陽光桜2025ー桜木も世代交代中ー

3/27には、翌日から天気が崩れると聞いて、地元の港南桜道の桜並木を撮影してきました。
ここは、もともと鎌倉街道から日野公園墓地に通じる幅10m、長さ2Km程の坂道で道路沿いに戦後有志によって染井吉野が植樹されました。1980〜90年代には最盛期を迎え両脇の桜がトンネルをつくるような光景が評判になり、花見時には多くの屋台も出て、大いににぎわいました。私は1985年にこちらに転居してきましたので、その頃は子供たちを連れて毎年花見をしていました。樹齢が60年過ぎる頃から次第に老化が目立ち始め、江ノ電バスのミニバスのルートになり車の往来が増えると枝の張りが通行の邪魔になりはじめ、徐々に伐採される桜木がふえてきました。2010年頃から世代交代による桜道の再生がいわれ、新しい種類で、やや早咲きで、枝を横に張らない桜「陽光桜」が選ばれ、植樹が始まり、いまに至ります。
それ以来、いまは、いわば「世代交代中」で、植えられて5〜10年経ち徐々に青年木に成長してきました。一方で、前世代の染井吉野も存在し、一部で混在しています。いまは、花見時に屋台が出ることはありませんが、地元の港南区や町内会、学校では「桜まつり」を企画して、しっかり支援していて、陽光桜の成長を見守っているといった状況でしょうか。
因みに、昨年2024/03/31に陽光桜の記事を当ブログにアップしています。心なしか1年分の成長をしているように感じます。

港南桜道の陽光桜2024

この日は、9,800歩コースでした。





2025年3月27日木曜日

四谷写真塾の写真展と千鳥ヶ淵

 3/26には、四谷写真塾の第20回合同展を観てきました。写真仲間が塾に属し出展しています。四ツ谷駅から5分くらいの便利な立地です。
なかなかレベルの高い写真展で感心しました。出展者それぞれがテーマをシャープに絞り4〜10枚ほどの組み写真で表現します。色が不要な場合にはモノクロ写真も多くありました。30名ほどの塾生が、異なる講師の主宰する4つの「ゼミ」のいずれかに属し月1回のゼミの場で日々研鑽されているとのことでした。4回に一回は撮影会に出るそうです。
なかでも、アイスランドの現地語で「ギャオ(Gja)」と呼ばれる大地の裂け目を撮った9枚の組み写真には圧倒されました。私には初めての光景でした。アイスランドでは、ユーラシアプレ―トと北アメリカプレートが重なり境界部分が地表に露出していて、随所に火山あり断層ありこういった裂け目ありの、日本人には珍しい地形が多くあるそうです。定期的なツアーコースがあるとか。
この日には帰路に少々足を伸ばして、千鳥ヶ淵縁道に出て九段下まで内堀通り沿いをゆっくりと歩き、千鳥ヶ淵と靖国神社の桜を観てきましたが、まだ三分咲きといったところでした。
この日は、12,000歩コースでした。










千鳥ヶ淵縁道で一番咲きの桜です。

千鳥ヶ淵の定番の観桜シーンも満開直前です。

靖国神社境内もちらほらです。この近くが
東京での桜開花宣言の標準木のあるところと
思われます。特定はできませんでした。
靖国神社境内

2025年3月26日水曜日

神代植物公園再訪とカタクリの花

 3/23には、写真仲間で3/28に予定する桜の撮影会の事前の下見で調布市にある都立神代植物公園を再訪しました。先に秋に訪ねたことがありました。
今年の地元での開花は3/24で、昨年より5日早いそうです。花見には少々早い時期でしたが、大寒桜が頑張って咲いてくれていました。他にも、コブシ、モクレン、木瓜、山茱萸など、多くの花木が楽しめます。季節ごとに梅、椿、桜、バラ、蓮などのしっかりしたゾーンが設定されており、なかなか本格的な植物園です。また、園内の片隅でかたくりの花も偶然見かけました。かたくりの花をカメラに収めるのは私には初めてでした。
また、お隣には深大寺があり、通用門で出入りできます。
今回も、下見の撮影後には、境内近くの蕎麦店で深大寺そばと日本酒で、反省会をしてきました。
この日は、15,200歩コースでした。

(参考)ここは2022年10月に訪問し、本ブログに記事をアップしています。
深大寺と神代植物公園
https://kinoken33.blogspot.com/2022/10/blog-post_30.html


小さな花が幾つか入れ子のように取り込まれた
変わり種の椿。ここには広い椿園があります。




レンギョウも開花です。

2025年3月23日日曜日

初めてのトルコ旅行 その8 ーイスタンブールと映画「ベン・ハー」

 一見、何の関係もない「イスタンブールと米国映画「ベン・ハー」(注1) 」ですが、実は、ローマ帝国時代、イスタンブールがコンスタンティノープルの頃、その中心部にあたる今のブルーモスクの前の大通りに残されている、3世紀初頭に建造された「古代戦馬車競技場」で繋がります。エルサレム生れのべン・ハーが幼馴染の親友メッサラ(ローマ帝国のエルサレム司令官で赴任)と4頭立て戦馬車の競技で争う、迫真の場面が印象に残る作品でしたが、その競技場がここにあったとのこと。330年にはコンスタンティヌス一世が拡張し、長さ400m、幅120mで約3万人が収容できたとか。
今でも、ここには古代競技場跡地「ヒポドゥローム(ローマ競技場跡)」として残されていて、3/11に訪ねました。
高校生の頃に、郷里の東舞鶴の浮島映画館で「ベン・ハー」を観たことを思い出します。3 時間半の長編で前編、後編に分かれた、私には初めての超大作でした。こんな戦馬車競技のリアルな撮影ができるんだと感銘を受けた記憶があります。今のCGなどない時代ですから。
現在、ここには、時のテオドシウス帝によって エジプトのカルナックのアモン神殿から運ばれた柱(オべリスク(注2))の記念碑や蛇の柱、コンスタンティヌスの柱、などが建てられています。遠路、巨大な遺物を運ぶというのは、ある種の権威付け、権勢の誇示でしょうか。
その後、この場所はオスマン帝国の頃に処刑場だったことから、死者を弔うためにこの地に競技場は再建されず今に至るとのこと。
この日は、17,000歩コースでした。


ドイツ皇帝から寄贈された泉亭「ドイツの泉」
オスマン帝国末期1899年にドイツ皇帝
ヴィヘルム二世からハミト二世に贈られたとか。
天井には両者の紋章が刻まれています。
オスマン帝はドイツと長く良好な関係だった
ようです。明治天皇とも親交がありました(注3)。

テオドシウスのオベリスク(右奥)。手前が
479年ギリシァのアポロン神殿から
運ばれ
た3匹の蛇のオブジェ「蛇の柱」。
頭はなぜか隣の博物館蔵とか。

コンスタンティヌスのオベリスク。
背景はトルコ・イスラム美術博物館です。

ヒポドゥローム(ローマ競技場跡)。
右隣にブルーモスクがあります。

(注1) 映画「ベン・ハー」
些細な出来事から旧友メッサラの裏切りにあって奴隷船送りとなったベン・ハーは、そこで命を救ったローマの将軍の養子となる。束の間の安住の後、再び故郷へ戻った彼は、別れた家族が獄中死したことを聞かされ戦車競技に出場する事を決意する。そこではメッサラとの宿命の対決が待っていた。
西暦1世紀の初め、ローマ帝国支配下のエルサレムに生まれたユダヤ人貴族の息子ベン・ハーの波乱に富んだ半生を、イエス・キリストの生涯と絡ませて描いた歴史小説スペクタクル大作。 監督はウィリアム・ワイラー。1959年作品、1960年日本公開。212分。(関係記事を引用、編集)

(注2) オベリスク 〔ギリシャ語で,焼き串の意〕
古代エジプトの太陽の神を象徴する石柱。上方に向かって細くなり,先端がピラミッド形の巨大な一個の石の四角柱。各面に象形文字の碑文や図像が刻まれている。寺院・宮殿の入口の両脇に建てられた。方尖柱。

(注3)エルトゥールル号遭難事件
1890年6月に、日露問題に絡んで明治天皇から書簡とともに贈られた品物に対して、返礼品(絨毯でした)を届けるために訪日したトルコの軍艦
エルトゥールル号が帰国時に和歌山県沖で遭難し、500名以上の犠牲者を出した事件。当時沿岸の村民が懸命に救助にあたり69名の軍人を救出し、回復後に日本の軍艦で本国まで送還しました。この事件は、トルコでは日土間の友好関係の起点として語られています。当時、両国ともロシア対策で悩んでいたようです。

横浜開港記念日と横浜開港祭2025

 6/2は、1859年に日米修好通商条約により横浜が開港されたことを記念する横浜開港記念日で、市内の小学校は休校でした。これに因んで5/31-6/2には横浜開港祭2025が臨港パークを中心にみなとみらい21地区ほかで行われ、様々なイベントに多くの子供連れで賑わいます。今年が第44...