7/14には、属する写真仲間の会での夏季撮影会の下見に、旧岩崎邸庭園を台風5号通過直後に初めて訪ねました。銀座線上野広小路駅から8分程の台東区池之端にあります。不忍池、湯島天神や台東区総合庁舎がすぐそばにあります。この地域で関東大震災や戦災、進む都市化の中で残された貴重な明治の資産だそうです。
旧岩崎邸庭園は、明治29(1896)年に、初代岩崎彌太郎の長男で三菱第三代社長の久彌の本邸として造られました。もともと彌太郎の邸宅があった場所とか。往時は約1.5万坪の敷地に20棟もの建物が並んでいたそうですが、現在では3分の1程の敷地となり、現存するのは洋館、撞球室、和館大広間の3棟でした。
都の文化財9庭園のひとつとして、きちんと管理されているのには感心しました。キャッチコピーは「時の風が吹く庭園」だとか。よく当たっているように思いました。
また、洋館を設計したジョサイア・コンドルは、1852年のロンドン生まれで、明治10(1877)年に25歳で日本政府の招聘によって来日し、工部大学校造家学科(現在の東大工学部建築学科)の初代教師に就任しています。後に日本の近代建築を立ち上げる日本人建築家を多く輩出したそうです。(注1)
それにしても、驚かされるのは、若干25歳で招聘に応じて来日し、鹿鳴館、上野博物館、ニコライ堂など今も残る洋風建築を設計し大活躍していることです。本国から陰に陽に相当な支援があったように想像されます。その後、彼は日本人と結婚し68歳で日本で永眠されています。先日新橋の停車場跡を訪ねた時にも29歳の若手鉄道技師を招聘して新橋-横浜間の鉄道開設に貢献してもらっています。(注2) 人材の外国からの招聘には、此のくらい思い切って、来る方も迎える方も覚悟を決めてことを成す必要のあることを物語っているように思いました。
さらに驚いたのは、この庭園の敷地は、明治初期には舞鶴藩牧野氏の屋敷だったそうです。私の郷里でもある京都府舞鶴市の田辺藩は細川家の肥後への転封の後に長く牧野家が治めました。多分廃藩置県で牧野家がここの江戸屋敷に移り、その後三菱に売却したように見えます。思わぬ歴史散歩でした。
この日は、13,800歩コースでした。
(注1)コンドルは、東京駅、日本銀行本店などの設計で知られる辰野金吾(「日本近代建築の父」と言われるそうです)、赤坂離宮を設計した片山東熊など多くの後進を育てています。とくに日本銀行本店は、耐震性に優れ、関東大震災にも耐えた「辰野堅固」の象徴とされるとか。
(注2)20歳代後半の若手技術者の英国からの招聘は、新橋ー横浜間の鉄道建設にも行われていました。今年2025年6月に下記の関連記事を当ブログにアップしていました。
2025年7月18日金曜日
旧岩崎邸庭園を初めて訪問
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
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