8/25には、残暑払いの会食の折にかつての同僚から大徳寺一久(いっきゅう)の「大徳寺納豆一久」を戴きました。大徳寺の塔頭 真珠庵を開祖した一休宗純禅師から直伝の製法が500年以上にわたって代々継承されてきたとのこと(「一子相伝」と家族で継承してきたそうです)。屋号の「一久」もこれに因んでいるとか。
大徳寺納豆は、京都の大徳寺の門前に構える老舗「一久」ほかで作られてきた大豆の発酵食材です。寺院で保存性のよい貴重な蛋白源として長く利用されていたそうで、「寺納豆」とも呼ばれます。もともとは中国四川・広東地方の「豆鼓(とうち)」を鑑真和尚や留学僧が伝えた食材とのこと。
製法をみると、大徳寺納豆は、蒸した大豆にはったい粉(炒り大麦の粉)をまぶし「麹菌+塩」で数ヶ月〜1年以上発酵させる乾燥系・塩辛系の納豆です。一般的な「糸引き納豆」とは、無塩で納豆菌を使うことと発酵期間が数日〜1週間であるところが違うとか。また、大徳寺納豆は、真夏の土用の時期に仕込まれ自然発酵させ、天日干しと撹拌を繰り返すことで保存性と旨味を高めます(一年物という意味で、この季節の旬の食材です)。製法は、味噌、醤油に近いとか。
できた食材としては、色は真っ黒の粒粒ですが(元々黒大豆を使いますが)、食べてみると発酵味が強く香ばしく大豆の風味があとに残ります。調味料や食材、特に酒肴として好まれるそうです。私も日本酒のつまみとして、歴史を感じながらしばらく楽しめそうです。
因みに、「はったい粉」では、郷里の舞鶴にいた祖父の実家が福井で、私が子どもの頃福井の親戚の粉屋さんから毎年はったい粉が大量に贈られてきていました。祖父が湯でかいて美味しそうに毎日食べていたことを思い出します。今思うと、老人向きの健康食だったようです。自家での味噌造りのときもこれを使っていましたので、製法のルーツは同じかも知れません。
2025年8月30日土曜日
大徳寺納豆一久のこと
2025年8月27日水曜日
ドローン映画「ランド・オブ・バッド」から
先日には、この夏に観ておきたいと思っていたドローンをテーマにした映画「ランド・オブ・バッド」を猛暑の中でしたが、横浜で観てきました。
この映画は、フィリピン沖の島に立てこもるテロリスト集団に拉致されたCIAエージェントの救出任務に、米軍特殊部隊デルタフォースの3人で編成されたチームが当たります。実在する戦闘ドローン「MQ-9リーパー」(注2)の支援を受けて、多くの抵抗と損害を受けながらもぎりぎり救出し脱出するという、半分リアルな戦争アクションでした。
知りたかったのは主人公の演じる「航空支援連絡官(JTAC:Joint Terminal Attack Controller/統合末端攻撃統制官)」の存在と役割です。この映画では、JTACは米空軍所属の下士官(軍曹)でしたが、米軍では空軍・海兵隊・海軍などがそれぞれ専門の訓練施設でJTACを養成しているとか。自衛隊からも要員を送り込んでいるそうです。
JTACは、「精密攻撃」の中で地上部隊とドローンによる近接航空支援をつなぐ重要な役割を担っていて、前線の眼であり、誤爆を防ぐ戦闘の声だそうです。映画でも、彼らの存在が戦術の要としてある作戦事例を通してリアルに描かれることに驚きました。(注1)
最近、ドローンをテーマにした映画が幾つか公開されています。ドローンにも興味のあるいち映画ファンとしては、これまでなんとかフォロウしてきています。思いつくところでは、以下があります。
・『ドローン・オブ・ウォー』。戦場にいない兵士の遠隔操作による現代の戦争の倫理的ジレンマを描いた作品でした。
・『エンド・オブ・ステイツ』。群状に編隊飛行するドローンによる爆撃が物語の鍵を握るアクション映画。現実の戦争技術とのリンクも話題になりました。
・『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』。ドローン攻撃の是非を巡る軍事サスペンス。少女の命とテロリスト排除の間で揺れる決断が描かれていました。
・『DRONE/ドローン』。連続殺人鬼の魂がドローンに乗り移るという異色ホラー映画でしたた。
進化するドローンは単なる無人航空機にとどまらず、地上前線のJTACとの連携(戦場で航空機に対して「どこを、いつ、どう攻撃するか」を直接指示する近接航空支援とともに攻撃の最終的な許可と中止の判断をするクリアランスコールの役割ももちます)により、現場の人間の精密な判断力をもった”遠隔有人”航空機になろうとしているように思いました。ドローンの進化とともにドローン映画の進化も期待したいところです。
また、映画を通して、JTACとドローンの関係は、これからの人間と生成AIとの係わりを示しているようにも思いました。
この日は、映画と暑さもあって(言い訳ですが) 5,200歩コースでした。
(注1)映画「ランド・オブ・バッド」のあらすじ
舞台は、イスラム過激派の拠点となっている南アジア・スールー海の孤島。
米軍特殊部隊デルタフォースは、拉致されたCIAエージェントの救出任務に乗り出します。
その部隊に加わったのが、航空支援連絡官(JTAC)として初任務に臨むキニー軍曹(リアム・ヘムズワース)。
しかし、目的地到着直後に反政府ゲリラの襲撃を受け、部隊は壊滅寸前に。
孤立したキニーが頼れるのは、遠く離れた空軍基地からMQ-9リーパー無人機を操るベテラン操縦官(元空軍パイロット)、グリム大尉(ラッセル・クロウ)のみ。
通信とドローン映像を通じて、ふたりは「空の眼」で戦場を俯瞰しながら、脱出と任務遂行に挑みます。(映画.comから引用)
(注2)「MQ-9リーパー」の機能
中高度・長時間滞空型(MALE型)、固定翼形式の遠隔操縦形UCAV(Unmanned Combat Aerial Vehicle:無人戦闘航空機)。最大飛行高度は約 15,200メートル、通常の監視運用高度はおおよそ 6,000〜12,000メートル。これは地上からの視認や射程を避けつつ、センサ性能を活かせるバランスの取れた高度。昼夜、曇の有無を問わず高倍率ズームカメラにより中高度からでも人物や車両を識別できる。
MQ-9にステルス性はなく、大型でプロペラ音もあるため中高度での運用を基本とし、地上からは肉眼で見えず、音も届きにくい空域で活動する。「隠密性」よりも「持続的な監視と精密攻撃能力」に重きを置いた設計となっている。20時間以上の滞空能力をもつ。操縦は空軍基地内の地上ステーションにて2名(操縦+センサ操作)で行われる。
「リーパー(Reaper)」は「刈り取る者(収穫者)」の意味から転じて「任務を完遂する者」「成果を収穫する者」の意味とともに、黒いローブをまとい大鎌を持った死の象徴としての「死神(Grim Reaper)」の意味も含まれるとされる。
日本では、2022年に鹿児島県の海上自衛隊鹿屋航空基地で米軍により運用されていたが、その後、沖縄・嘉手納基地へ移転し洋上監視任務などに活用。 今後の導入も計画されている。(関連HPから引用、編集)
2025年8月26日火曜日
五反田で暑気払い
3/25には、以前の職場の同僚と五反田で暑気払いをしてきました。立秋が過ぎても猛暑日が続くこの頃にはピッタシの企画でした。
西五反田にあったかつての職場のオフィスビルに近い居酒屋「多吉」がこの日の会場だったため、若干早めに到着し周辺を久々に歩くことができました。
まず驚いたのは、かつて通ったオフィスビルがこの5月からの解体工事中だったことです。2026年3月には取壊しが終了する予定で、その後33階の高層マンションビルの建設が予定されているとか。このビルには2015年から6年程通いましたが、思い出も多いビルです。ここは、1989年に建てられ元々万年筆のパイロットさんも上層階に入居されていたそうで(当時は「パイロット第一生命ビル」と呼ばれていたとか)、その後クラウド会計の会社などが入居し同居していました。
山手線五反田駅西口を出て北に5分程行ったところで目黒川と山手線の間の繁華街の一角にありました。便利な割に地域のオフィス賃貸料は目黒、大崎周辺ほど高くはない、とのことでした。確かに、東急池上線、都営浅草線と山手線がクロスします。少し歩きますが東急目黒線の不動前から通う人もいました。このためか周辺には地域ブランドを気にしないIT関係のベンチャ企業が集まっているそうで、米国のシリコンバレーよろしく「五反田バレー」などと報道されたこともありました。この意味では、「渋谷ビットバレー」が先行していましたが。
春には、目黒川の桜並木には近くよく目黒まで川沿いを職場仲間と何度も花見をしました。また、ビルの5階にいましたがすぐ下も商店街沿いに桜通りが走り、開花時期には、真上から花見ができる珍しい場所でした(よくある、下から、横から見るのとはまた違う光景です)。よく耳にしたのは、五反田は、山手線の駅の中でも、大学(近くに立正大学、清泉女子大などがあります)、オフィス街、居住街、繁華街が駅周辺にコンパクトに集まったのが特徴的、ということでした。好みにもよるのでしょうが、ある意味では、働きやすい、住みやすい町、親しみやすい町、だったのかもしれません。
五反田駅前はかつては山手線沿いでも有名な歓楽街でしたので、その名残もあってか、昼食や夜の会食の場所には、ピンからキリまで、和洋中と苦労することもありません。
同僚とよく使った、近くの店が「多吉」とオフィㇲの道路向いにあった「かね将(かねしょう)」でした。多吉は何も変わらず健在でしたし、かね将は当時から地元の人気店でしたが、いつの間にか道路真向かいに2号店を出していて繁盛している様子でした。
懐かしい仲間6人も皆元気で、暑さを忘れて、久々にじっくりと懐かしい話や近況の情報交換などができました。
この日は、6,800歩コースでした。
因みに、2022年5月には「かね将」について当ブログに以下の記事をアップしていました。
五反田「かね将」
2025年8月22日金曜日
映画「雪風 YUKIKAZE」を観て
8/21には、最近話題の映画「雪風 YUKIKAZE」をTOHOシネマズ川崎で観てきました。
8/15の80年目の終戦の日に東宝から公開された映画です。
多くの海戦に参戦しながら幸運にも生き延びた「雪風」という珍しい駆逐艦があったとは聞いていましたが(注1)、詳しい生い立ちなどは知らなかったものですから、上映館を探してたまたま川崎で上映中であることを知り、興味をもって鑑賞してきました。
結果的には正解で、史実に基づいて脚色された映画で、単なる戦記物ではなく、1942年以降米国に押され劣勢を続ける南方戦線での駆逐艦艦上の戦闘と国内の苦難の様子がえがかれ、「生きて帰る」、「生きて還す」を主題に戦前、戦後そして現代を通じて人間ドラマ化されています(映画には、1970大阪万博や3.11東北震災のシーンも含まれます)。さらには、戦争を生き延びた人々へ「失敗した戦争経験を無駄にしないでくれ」という思いを託す、というメッセージ(珍しくそういうシーンも映画の最後にありました)を込めています。(注2)
駆逐艦はその機動力から、艦隊の 先鋒 として魚雷、水雷を放って敵艦隊、潜水艦の勢いを止める先制攻撃、近接する敵小艦の駆逐や戦闘機への高射砲攻撃などによる大型艦の護衛、上陸支援、物資輸送など様々な役割で機能しますが(「艦隊のなんでも屋」だそうです)、この映画では、上記に加え、沈没した他艦乗員の救助活動にも目を向けています。
また、終戦直前には郷里の軍港舞鶴に寄港していて、その後7月30日に近くの宮津に停泊中に米機による空襲により損傷して伊根近くに移動して終戦を迎えていたことを知りました(注3)。
余談になりますが、私が舞鶴にいる頃、祖父が食事のときなど、海軍の戦艦、巡洋艦、駆逐艦の役割や艦隊勤務について、よく話してくれていました。祖父は、 二等巡洋艦「千歳」で日露戦争(1904~1905年)に参戦し、その後通報艦「千早」、戦艦「阿蘇」に乗艦しています。 その頃の艦上任務の話などが思い出されるシーンが映画中いくつもありました。
父が編集した祖父の従軍日誌については、当ブログの下記記事にアップしていました。
「水兵さんの遠洋航海」発刊のための(日誌)原稿の(清書)原稿
(注1) 駆逐艦「雪風」について
1939年に佐世保で進水。基準排水量2033トン、全長118.5メートル。最大速力は約36ノットで、230人以上が乗り組んだ。太平洋各地を巡り、空母などを失ったミッドウェー海戦では後方で輸送船団を護衛した。インドネシアのスラバヤ沖海戦、ガダルカナル島攻防の第3次ソロモン海戦、フィリピンのレイテ沖海戦のほか、戦艦大和が沖縄に向かった坊ノ岬沖海戦にも参加した。
戦後は復員船として13,000人の復員輸送の任務を果たしている。その中に、フィリピンラバウル島から浦賀に復員した水木しげる氏も含まれていた。雪風は、氏の作品『駆逐艦魂』に登場する「旋風(せんぷう)」のモデルになったとされる。
その後は戦後賠償船として中華民国(台湾)に引き渡され、台湾海軍の旗艦「丹陽」としても使われた。その後、1971年に解体され、主錨と時計が江田島に残されている(映画にも出てきます)。(関連HPから引用)
(注2) 映画「雪風 YUKIKAZE」のあらすじ
太平洋戦争中に実在した駆逐艦「雪風」の史実をもとに、戦中から戦後、さらに現代へとつながる激動の時代を懸命に生き抜いた人々の姿とその運命を、壮大なスケールで描く。さまざまな資料を基に映画オリジナルの登場人物として生み出された「雪風」艦長の寺澤一利を竹野内豊、乗員を代表して艦長との間をつなぐ「先任伍長」を玉木宏が演じる。(映画では「先任伍長」による艦内での風通しのよさのような役割が、負傷者が少なく無事な帰還を繰り返す要因として、強調されています。)
太平洋戦争下、数々の激戦を最前線で戦い抜き、ほぼ無傷で終戦を迎えた駆逐艦「雪風」。軽量で機動性に優れていることから、艦隊の先陣を切って魚雷戦を仕掛け、対空戦闘によって戦艦や空母といった主力艦を護衛するのが駆逐艦の役目であり、「雪風」は任務を果たしながら、幾多の戦場を生き抜いていく。そして、最後まで戦場に留まり、沈没する僚艦から海に投げ出された仲間たちを救助して帰還することも多く、時には敵兵にも手を差し伸べた。「雪風」は戦うために出撃しながらも、最後は必ず人を救って戻ってくることから、「幸運艦」「不沈艦」と称された。
「雪風」は80年前の夏、京都府北部の伊根湾で終戦を迎えた。太平洋戦争中の戦闘では出撃して沈むことなく帰還し、多くの戦闘で海に投げ出された兵員らの救助にもあたり、戦後も数奇な運命をたどり多くの命を救った。(映画.comより引用)
(注3) 終戦時の「雪風」
雪風は終戦直前の頃、舞鶴に寄港し、天橋立に面した宮津湾に停泊。7月30日、米軍による宮津空襲に遭い、近くにいた駆逐艦「初霜」は大きな被害を受けて座礁した。損傷した雪風は、潜水母艦「長鯨」が襲撃された湾北側の伊根町沖に移動。そのまま終戦を迎えた。
雪風は太平洋戦争の主力駆逐艦38隻の中で唯一終戦まで生き残った。(読売新聞評より引用)
2025年8月17日日曜日
故郷での宴席とふるさと納税
8/15には、午前中の初盆供養、午後の姉宅での会食、地元での所用巡りなどの後、夕方には親族で地元白鳥にある魚料理店「魚里(うおり)」 で宴席をもちました。魚料理には定評のある人気店だそうで昼食が中心の店のようです。新鮮な魚と酒をいろんな料理で楽しめました。大きな岩ガキのフライは初めてでした。
滞在したホテルの部屋には、ふるさと納税のPR情報が置かれています。魚加工品や地元万願寺地区で栽培される万願寺トウガラシなどの野菜、そして買物ポイント(ふるさと納税とも絡んでいます)などがウリのようです。
とまれ、この日は朝から夜まで盛りだくさんの一日で、いささかくたびれました。
8/16の移動はお盆明けのために避け(舞鶴‐京都間のバスが満席でした)、8/17に帰路につきました。往路もそうでしたが、復路も京都までの高速バス、京都-新横浜間の新幹線ひかり、ともに座れ、長いお盆休みで移動が分散したこととともに、お盆の移動も多くがスケジュール化(予約乗車)されてきたように感じました。この時期、のぞみは全席指定だそうで、お盆にしてはホームが混んでいません。以前の帰省では、京都-新横浜間ののぞみ自由席では乗車率が100%を大幅に超え混み合う中で立ちっぱなしということもよくありましたが。
この日は、7,000歩コースでした。
実際に描くところを見てみたいものです。
「うおり」は店名の魚里です。
岩ガキのフライ。生でもよいのにと、ちょっと
もったいない食べ方ですが(甥が注文してくれ
ました)、岩ガキの分厚い身を凝縮した味と
食感です。ソース皿の上の模様が変わって
岩ガキも万願寺トウガラシも地元の特産品です。
鯖へしこのお茶漬けで仕上げです。「へしこ」は
若狭の特産品で、鯖や鰯丸ごとの糠漬けで
いわば「魚の漬物」です。昔からの地元での
魚の保存食でした。
市もホテルも力が入っています。
2025年8月16日土曜日
舞鶴得月寺での施餓鬼会法要
8/15には、弟の初盆供養と先祖の追善供養に得月寺での特別施餓鬼会(せがきえ)に参列してきました。
ここに参列するのは主に親族に初盆を迎える世帯が対象ですが、いつになく参列者が多く50世帯近くは参加していました。このところの猛暑や高齢化も関わるのでしょうか。4人の僧で行われました。うち一人は住職さんの息子さんです。ここでも世代交代です。
そこで、一句、
初盆や居心地を訊く施餓鬼棚
灯篭や影が回りて仏間揺れ
記念誌「舞鶴吟行案内」のこと
8/15には、施餓鬼法要の後、古い友人と古い喫茶店「木馬」で久々に会いました。
その時、俳句を40年ほど続けるF君から、彼の属する舞鶴俳句協会が令和3年に出版した「舞鶴吟行案内」(B5,129頁)を戴きました。協会発足70周年の記念企画とのこと。昭和・平成・令和の舞鶴の俳人による句を、若狭、丹後の両丹地域、特に舞鶴周辺地域に重点をおいて、吟行地から取り纏め編集した労作です。あとがきに編集委員長の岩木さんが「この風土で生まれた俳句を残していくとともに、これから俳句を始める人々に、相応しい吟行地を作句とともに伝えることも大事な役目である。」と言われているように、個人の句集とはまた別の意味で有意義な出版物と思いました。舞鶴は歴史や風景で句材の多い地域とのことで(注)、これまで故郷として見聞きしてきた地区、風景を吟行地としてあらためて見ることができそうです。また私の俳句のレベルにもぴったりな記述もあり、しっかりと読ませていただこうと思っています。また、表紙の2枚の写真にも、地元のこなれた目線がこもっているように感じます。
表表紙から。吉田の瑠璃寺の枝垂れ桜。
古い木と若い木の組み合わせです。
裏表紙から。鹿原(かわら)の金剛院の
紅葉。金剛院は「丹後のもみじ寺」
と呼ばれます。
(注) 吟行地としての舞鶴 (福井協会会長の「まえがき」より引用)
舞鶴を含む丹後は、海のある京都といわれている。吟行地として西舞鶴には、田辺城址、安寿姫塚、瑠璃寺の枝垂れ桜などがある。また東舞鶴には世界遺産の引揚記念館、赤煉瓦パーク、松尾寺、金剛院などがあり、中舞鶴には海上自衛隊、造船所がある。更に、中舞鶴と西舞鶴に跨る五郎ヶ岳山頂からは舞鶴湾を一望することができる。
これらの歴史と自然を物語る構造物や遺跡、海や山の自然に恵まれた句材豊かな地である。
2025年8月15日金曜日
舞鶴にお盆帰省 ---600件目の投稿
8/14には、昨年末に他界した弟の初盆の供養と先祖の施餓鬼供養のために東舞鶴に帰省しました。お盆中でしたが、帰省時にいつも利用する新横浜-京都間の新幹線ひかり自由席は乗車率50%ほどで、ゆっくりと座れました。京都駅から京バスの高速バスで京都縦貫道を経て東舞鶴に2時間弱で直行します。停車は、京都を出ると、西舞鶴、中舞鶴、東舞鶴だけで、こちらもなかなか快適です。
夕方には、ホテル備え付けの自転車で街中、海岸をざっと「散車」してきました。これは舞鶴にいる頃からの定番で、いつものルーチンです。この日は、前島埠頭に小樽-舞鶴便の新日本海フェリー「けやき」が停泊中で、夜中の出航に向けた、トラック、荷物の積み込みなど、準備中でした。
この日は電車・バスでの移動日で、6,500歩コースでした。
たまたまですが、この記事が600件目になりました、
になります。
2025年8月10日日曜日
横浜プチパン展@2025年盛夏
7/31には、第8回プチパン展(7/22~8/2)に立ち寄りました。水彩スケッチを習う先生が毎回出展されています。桜木町駅からバスで本町一丁目で降りるとすぐそばにある、アクセスも 良いオープンでこじんまりした画廊です。外から大方の様子が見れます。
プチパン展は、審査のない独立系の小作品展とのことで、1月と8月に年2回開催されます。出展を100点に絞ったコンパクトな画展で鑑賞する側にも手頃です。また、有難いのが気にいった作品はその場で、リーズナブルな費用で購入もできます。自分の書斎にも今年の新春展での購入作品を一点掲げています。(注)
画展の原点のような方針と敷居の低さがが気に入り、このところ毎回参加しています。
サイズの小さな小作品展だけに、作者の個性と力点がよくわかり、勉強にもなります。
一色先生の出展作品「横浜開港資料館」から。
「ジャックの塔」ともいわれ、最近リニューアルされた
ばかりです。この日も作品は既に売れていました
(値札が赤くマークされます)。人気の画家です。
下記にアップされているサイトから引用。
水彩プチパン展@馬車道2025/07/22-8/2
https://x.com/toirom_pmxh/status/1947748694952186244
三渓園の早朝観蓮会とミンミン蝉
(注)2025年新春プチパン展の様子については、下記の記事を当ブログのアップしていました。
2025年8月9日土曜日
棉の木と風船かずらが成長中
このところ、庭の夏草が変化してきています。
・今年ご近所からいただいた黒い種子(ハートマーク付きとか猿の顔付きとかいわれる面白い模様付きです)を植えた風船かずらが、白い小さな花の房の幾つかから緑の風船をつけはじめました。小さな鬼灯(ほおずき)のようでなかなか風情があり涼気を誘います。
ここで一句、
新涼や風船かずらの揺れ坊主
風に鳴る風船かずらや庭の涼
・ここ4年種子植えを続けている棉(わた)の木が沢山の蕾をつけ、白い花が咲き始めました。日に日にピンクから朱色に変わり受粉して花弁はしぼみ数日後には大きなコットンボールができます。今年も鉢植えと露地植え両方を試していますが、猛暑のためか鉢植えは全て枯れてしまいましたが露地植えは3株とも元気です。ひょっとしてもともと自然栽培であれば猛暑に強い品種かも知れません。
ここで、またまた、一句、
棉の花白から朱へと恥ずかし気
これからの成長が楽しみです。
初収獲
小出川彼岸花まつり
9/27には、近くの小出川彼岸花まつりを観てきました。小出川は茅ヶ崎市を流れる一級河川で先の柳島で相模川に合流します。ここの遠藤地区にある遠藤神明谷や遠藤琵琶島などの水源が集まって、3~10m幅の源流となっています。両側の沿道には春はアジサイ、秋は彼岸花が地元の協議会の大変な努...
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長く地元で行きつけの飲み屋のひとつになっていた「養老の滝 蒔田店(まいた)」が29年間の営業を3/20で終了することになったことを知りました。市営地下鉄蒔田駅前に入居するビルの取壊し計画が具体化したこととコロナ禍以降の諸物価の値上がりで経営が急速に厳しくなったことが原因だそうで...
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3月央の取り壊し工事に先立って舞鶴実家に残された遺品類について、最後の整理を進めています。 その中でユニークなのが私製本の「水兵さんの遠洋航海 ー日露戦争直後のある青春ー」の大量の原稿です。 1978年(昭和53年)に、父が祖父の海軍舞鶴海兵団従軍中の日誌を13年かけて清書し、...
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10/28午前には、舞鶴近くの西国33か所巡礼の27番目の札所 松尾寺(まつのうでら)を久々に歩いて参拝してきました。幸いこのところ足腰の調子がよかったため、最近はクルマで巡ることが多かったのですが、今回は最寄りのバス停の松尾寺口から1時間ほどの山道コースです。 舞鶴市(京都府...