2024年7月14日日曜日

相生の町と鱧(ハモ)

 7/12には、兵庫県瀬戸内海側の西端にある相生に入りました。新幹線では、ひかりとこだまは止まりますが、のぞみは通過します。相生市の人口は現在2.4万人で、多い時には4万人はいたそうですから6割に減っている町です。
相生市の歴史によると、相生は、戦前、戦時中から播磨造船所の企業城下町として繁盛し、昭和35(1960)年に石川島造船所と合併し石川島播磨重工業(IHI)となってからも人口は増え続けました。IHIの相生工場は、昭和37〜39年には3年連続して単独造船所として世界一の進水量を達成したそうです。
ところが、オイルショックによる石油高騰やプラザ合意に伴う円高によって、昭和60(1985)年以降に深刻な造船不況が続き、昭和62(1987)年には、相生工場は新造船からの撤退を余儀なくされ(ジャパンマリーンユナイテッド(JMU)に造船事業を譲渡)、相生は遂に「造船の町」としての幕を下ろしたそうです。これに伴い、人口が激減したとあります。といっても、今も相生湾の西側沿岸はIHIのクレーンなどの施設が広範囲に亘って建ち並び、瀬戸内工業地帯の一角ではあります。
私の故郷の舞鶴でも、同じようなタイミングで飯野造船を買収した日立造船が舞鶴工場における新造船事業から撤退し(同じくJMUに事業譲渡)、町の様子が一変したのを記憶しています。
相生市では、現在は、理化学研究所(理研)が運営する産官学の共同研究施設の「大型放射光施設SPring-8」を誘致するなどして、地元に根付く造船技術を活かして次代の産業への参入を計画しているようです。駅前でもSPring-8行きのバスには行列ができていました。また、毎年5月最終日曜日に行われる、32人乗りの大型木造和船による競漕神事「ペーロン(白龍)祭り」や冬の相生かき、などを中心に観光にも力を入れているようです。
この日には、私は10時頃に相生駅に到着し、バスで一色先生のスケッチ展会場の相生市文化会館に向かいました。駅からは南の相生湾東岸沿いにあります。企業城下町にはよくあることですが、市役所や公民館など、公共的な社会インフラ設備は充実しています。市内の駐車場も殆ど無料だそうで、車の生活は至極便利だそうです。
そこのすぐそばには相生市水産物市場があり、市場内の魚店「魚稚(うおわか)」さんで、今が旬の鱧(ハモ)を見かけ、早速獲れたての鱧の湯引きを酢味噌でいただきました。その後、たまたま雨宿りさせていただいた街中の魚屋で鱧を捌(さば)いているところも見ることができ、初めて、骨切りを目の当たりにしてきました。相生の海産物では、このほか、小女子(こうなご)と冬の牡蠣の収穫が多く、おいしいそうです。近くには牡蠣を捌く牡蠣小屋がいくつかありました。ここでは、この時期、他に、アナゴ(沢山の入荷でまだ活きていました)、ヒイラギ、オコゼ、アコウ、カサゴ、大タコ、マナガツオ、シロギスなど、地元の魚が売られていました。この南先には「鰯浜」という地名があるのを知り、かつてはさぞかし鰯をはじめ瀬戸の小魚が沢山獲れたのだろうと思った次第です。


ペーロン(白龍)海館には12漕のペーロンが
格納されています。

ペーロン競漕のイメージの模型。ペーロン
会館にて

中央奥の「ペーロン城」。道の駅、海の駅、
また地元の特産品、農産物、ペーロン祭の
アピール施設としてなかなか力が入って
います。立派な施設です。

新鮮な鱧の湯引きを戴きました。

カサゴもまだ跳ねていました。

丁寧に大量の鱧が捌かれます。ここから
スーパーに卸しているそうです。


骨切りの最中でした。皮だけを残します。
今は機械でも骨切りができるそうですが、
「骨が残る」と評判が良くないそうです。

この魚屋では、ヒイラギを見かけました。
郷里の舞鶴ではシノハと呼び、余り食べる
ことのない魚でした。九州有明では
高級魚で立派な刺身ネタでした。
活きアナゴ。きれいなアナゴです。

JR相生駅。バスは大型放射光施設
「SPring-8」行きでした。

相生湾。対岸にはIHIの工場群が並びます。

西の比叡山「書寫山圓教寺」


姫路城の北側20Kmほどの山中の広大な敷地に書寫山圓教寺(しょしゃざん えんぎょうじ)があり、7/11には半日かけて参拝してきました。
966年に創設された密教の天台宗の古刹で、山中深くに多くの伽藍が点在する大寺院であることから「西の比叡山」といわれ、西国三十三か所霊場巡礼の27番目の札所でもあるそうです。
姫路駅から神姫バス(しんき)で30分、ロープウェイで高度250mまで5分で登り、山上駅から25分程さらに歩いたところに仁王門があり、ようやく広い圓教寺境内が始まります。
京都の清水寺の舞台ように、斜面を見下ろす長い廊下をもつ魔尼殿(まにでん)、トム・クルーズと渡辺謙が共演した映画「ラストサムライ」のロケ舞台となった、幅広い廊下をもつ常行堂(通常は写経の体験場所になっています)、開山された性空上人を祀り、開山以来毎日儀式が続いている開山堂、など見応えのある伽藍の多い寺院です。また、この山一帯は水気が多く随所に青々とした苔が厚く生えています。確かに比叡山延暦寺に似た点はあるように思いました。
この日は、この後に巡った、姫路城に隣接する日本庭園「好古園」を含めてよく歩き、18,600歩コースでした。
話は変りますが、バスの途中に兵庫県立大学工学部がありました。元の姫路工業大学(姫工大)が再編されたようです。県内各地に環境系学部や社会福祉系学部などが分散して設置されています。


常行堂。近くの小学生が賑やかに勉強中
でした。神社と寺が融合されたような立体的な
造りで確かに絵になります。ここの手前の
廊下で「ラストサムライ」などのロケが
行われたそうです。

常行堂の右に隣接する食堂(じきどう、
修行僧の寝泊りの場)。手前は建築家の隈研吾氏
作の白いオブジェ「生き延びるためのデザイン
ワーク」。

食堂の右に隣接する大講堂(修行の場)。
つまり、常行堂と食堂と大講堂(三つを
まとめて「三之堂」といいます)は
コの字につながっています。修行に伴う
移動を減らす為でしょうか。手前の広場は
「三之堂広場」というそうです。

常行堂の廊下。食堂の2階から見ています。
映画や大河ドラマでよく使われる場所との
こと。この角度は「ラストサムライ」での
撮影シーンで、広い廊下に観覚えがあります。

ここに至る参道の周囲には杉、ツガなどの
大木が茂っています。この木も姫路市の
保存樹だそうです。

境内の入口近くにある巨大な「魔尼殿
(まにでん)」。いわれると京都 清水寺の
「清水の舞台」を思わせます。今は資料館
になっています。

開山の僧 性空上人を祀る開山堂

広い境内入口に建つ仁王門。両脇には仁王像
ではなく二足の大きな草鞋(わらじ)が
両壁に安置かれていました。

境内の中は水分が多く石垣も厚く苔むして
います。この地域は湧水が豊富だそうです。

インドから迎えた僧を案内中でした。
お二人の記念写真の撮影を、たまたま通り
かかった私が頼まれ、偶然の巡り合わせで
シャッタを押しました。

書寫山の参道途中から姫路市内や写真中央の
山林の左側中腹に姫路城が見えます。左奥は
淡路島とのこと。

(参考)圓教寺の伽藍配置です。

2024年7月13日土曜日

平成の大修繕後の姫路城

  スケッチの先生の故郷での個展を観るために相生(兵庫県)に向かう途中、姫路に途中下車し2泊して(姫路は山陽本線で相生の4駅手前です)、7/10には姫路城を訪ねました。
姫路城は、2009〜2015年に平成の大修繕が行われました。その期間中に一度ここを訪ねたことがあり、大きなテントに包まれた天守閣を拝観して残念に思った記憶があります。工事途中の2011〜2014年には、周りに足場が造られ一部が公開されて工事中の様子をすぐそばから拝観ができるようになっていましたので、私は、その臨時の拝観設備のできる前の2009〜2011年に来たようです。当時、修理中の拝観ができるという案内をみて、その頃にもう一度姫路を訪ねたいと思った記憶があります。実際には叶いませんでしたが。今回、6階すべてを初めてじっくりと拝観できました。
古くても使えるものは極力再利用することを修繕の方針としたそうで、縁の擦り切れた階段や内装などは十分に歴史を感じさせます。
修繕が終わった後は、城の全景を報道写真などで見て、随分と真っ白い城に様変わりしたな、と思っていましたが、今回観てその印象は払拭されました。といいますのは、白いのは瓦の保護のために漆喰を使うために外観が一時的に白く見えるそうです。改修後9年たつと大気風雨などの汚れで、他の城でもよく見るような、グレーの外観になっていくようです。別名の「白鷺城」は、当時の建築直後の真新しい白い姿かたちをこう呼んだのかもしれません。
街中を歩いていて、今も内堀と外堀の間に「中堀」の、高さ3mほどの石垣が保存されているのを見かけました。戦国時代にこの城の縄張りをした創設者の用心深さ(多分、当時の戦乱の世相があったのでしょうか)と城下町市民がこれまで保存を続けてきたこの城への執着心には、あらためて感心しました。
この日は、9,500歩コースでした。高低差があり結構大変でした。


鯱鉾(しゃちほこ)もしっかりと
睨みをきかせています。

石垣が上になるほど急峻になるように
積み上げられているのも特徴とのこと。


堂々たる城郭です。改修から9年経ちさほど
白い城ではありません。

西の大黒柱「西大柱」。東大柱とともに
2本で天守閣を支えています。
 

西之丸が広く保存されています。豊臣家滅亡で
激動の人生を送った千姫(お江(おごう):お茶々の
妹)が一時期ここで過ごしたというリアルな
物語性も、姫路城がいちはやく世界遺産になった
背景のひとつでしょうか。


南東側の近景

城の内堀の南東端に「城見台」が石台で
造られています。重臣の屋敷の跡地
だそうでここからの城の姿が良いと
されているそうです。鯱鉾との組合せを
含めて納得できます。

2024年7月7日日曜日

大船での早朝観蓮会


 7/7には、大船フラワーセンターで始めての早朝観蓮会に行ってきました。7時から開園だそうですが、この日到着したのは8時前でした。こちらも、最近では、私の散歩で便利でお気に入りの第二のホームコースになりつつあります。
蓮は、早朝に咲き始め、昼頃には閉じ始めます。それを4日間繰り返し、最後に開いて次第に花弁は散っていきます。咲くときに音が出るという説も聞きますが、事実ではないそうです。
この日は、大賀ハス(古代ハス)ほか190種余りが咲き始めた直後の時期で、早朝だったこともあって丁度開花中の株も多く観られ、なかなか見応えがありました。蓮は、仏教でも取り入れられ極楽浄土では昔からの定番ですが、アジア人が長く感じてきた風格のようなものを、目の当たりするといつもながら感じます。
8時半からは、話上手な園長さん他による「早朝ハスガイド」の企画もあり、大賀ハスの種が2,000年後に開花した理由や苦労話、ひと株に二つの花を付ける珍しい双蓮花のこと、ハスの茎の小さなトゲが下向きに生える理由'(最近話題の牧野富太郎作の植物画による説明でした)、など、子供達と一緒に大人にもハスの勉強になります。ここで、沼津の本廣寺の住職から株を譲り受けて、本格的に蓮の栽培をはじめて4年目だそうです。
その前に、睡蓮の池もありこちらも盛りで楽しめました。珍しく、イトトンボと睡蓮のツーショットを撮影できました。先輩から譲り受けた200mmの望遠レンズのお陰です。
蓮園の隣には半夏生(はんげしょう)のエリアもあります。
この日は、8,400歩コースでした。


黄色い花托の上にあるメシベが蜂などにより
媒介された受粉すると次第に花托は緑になり
上端面の15~20個の穴の奥に種子ができて
果托に変わります。


半夏生。葉の全部が白く化粧したようで、
さながら「全夏生」でしょうか。

咲き始めたばかりのハスの花です。

「ハスの葉シャワー」だそうです。



手前は受粉した緑の花托です。種子をつけ
果托になります。

たまたまトンボと一緒に睡蓮を撮れました。








2024年7月4日木曜日

半夏生の季節

 7/4には、梅雨の合間の晴間に三渓園を巡ってきました。ここは、そろそろ私の散歩のホームコースになりつつあります(割安で入園できる年間パスポートを持ち始めてから2年目です)。
この時期は、蓮園に2輪だけ咲く程度でちょっと早目でしたが、その周りの水辺に生える半夏生(はんげしょう)が丁度見頃でした。
半夏生は、田の畦道や川瀬などの水辺に高さ50〜60cmほどに生えるどくだみ科の多年生植物で、夏至から11日目の「半夏生」の頃、太陽暦では7/2~7/7ごろだけに、葉のつけ根から半分ほどが白くなり、白い穂状の花が咲きます。その後開花が終わると、葉の色はまた元の緑に戻ります。半分化粧したようにみえることもあってこう呼ばれているそうです。不思議なものです。
また、暦としての半夏生(七十二候のひとつ。二十四節季の夏至に含まれる3候の内最後の候になります)には様々な説があるそうですが、農作業の大切な目安として田植えは夏至のあと半夏生に入る前までに終わらせるのが良いとされ、無事に田植えが終われば、農作業はひと休みして、田の神様に感謝をする行事を行い、この日の天気で収穫の出来を占ったりもした時期だとか。
この日は、9,800歩コースでした。


半夏生。葉の根元から半分が白くなって
います。

蓮は2輪が咲いていました。早朝観蓮会は
7/20から8/12の金土日祝日だそうです。



今春に改修を終えたばかりの
旧東慶寺仏殿


台風通過直後の小出川彼岸花まつり2026

 9/26午前中には、第19回小出川彼岸花まつりを駆け足で巡ってきました。この日午後には雨模様の予報でしたので。市営地下鉄湘南台駅から2連バスに20分程乗り慶応大湘南藤沢キャンパス入口で降りると10分程歩くと小出川に出ます。川沿いに約3Kmに亘って彼岸花の咲く遊歩道が続きます。 ...