舞鶴の実家の取り壊し工事に先立った遺品整理で、扱いが難しいのが仏壇です。
今回の工事では、檀家寺の住職さんとも相談しまして、3/10に、近い親族に集まっていただき、実家で、祖父母の50回忌、父の33回忌、母に17回忌の法要を行いました。これをもって、実家での最後の法事として仏壇から先祖代々の魂を抜いたと考えて、それ以降すみやかに現在の私の横浜の住居に新たに設けた仏壇に移っていただくことにしました。檀家寺には本堂に位牌が、墓地に先祖の墓がありますが、それはそのままとして、取り壊し以降も檀家を継続しています。
法事もなんとか終え一段落したところで、昨日3/12に仏壇の引っ越しをすることにし、仏壇の仏像や位牌、各種の仏具など、一式を4箱に詰め輸送の手配を終えました。
作業中、仏壇やその下の引き出しの中から、先代(明治後半以降3代になります)の新たな資料が多く出てきて興味をそそられました。ある意味では、遅まきながら、一族の歴史探索の証拠ようなものです。
驚いたのは、今回新しく目にした資料から。曾祖父の営む商売について、明治38年の42歳の時には自らを東舞鶴で小間物商、同41年には古物商、と表明していました。このことは、現世代にとっては新しい事実でして、これまで、明治から終戦まで洋服店とばかり思っていました。従って、このころ祖父が海軍舞鶴海兵団で軍務に服する間、曾祖父の家にたまたま下宿している頃には(退役後に祖父は曾祖父の婿養子となり長女と結婚することになります)、洋服店ではなかった可能性があります。これは、実家(昭和15年に類焼に会い焼失し翌年再築されました)に、あれだけの甕や火鉢、木桶、石臼、掛け軸、置物、屏風など、小間物や古物が多く残されているのも、うなずけるようにも思いました。
洋服店となったのは、早くとも祖父の退役後に、曾祖父、婿入りしその後商売を引き継いだ祖父のどちらかのアイデアで、業種転換をしたようです。明治期からのファミリーヒストリーの新しいエピソードのひとつでしょうか。
このほかにも、仏壇には曾祖父の43歳(明治39年)の時の写真、祖父の軍歴資料、西国三十三か所巡礼御朱印帳、四国八十八か所巡礼御朱印帳(祖父も曾祖父も巡っています)など、新しい資料を多く見つけました。これから読み解くのが楽しみです。もうちょっと早めにその気になっていればと反省しきりです。
2024年3月12日火曜日
仏壇の引っ越し
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