2025年4月24日木曜日

ローマ教皇にまつわる映画「教皇選挙」と「ローマ法王になる日まで」

 4/10には、2024年の米英映画「教皇選挙(Conclave )」を上大岡のTOHOシネマで観てきました。映画では、教皇が亡くなられ次期教皇の有力候補が4人いてそれぞれに問題があり、1度目の教皇選挙の投票では2/3の必要獲得数を超えた候補はいなくて翌日の再投票に。投票用紙は燃やされ、未定は黒い煙、決まれば白い煙がのぼって人々に知らせます。繰り返される投票の間にも様々なスキャンダルが明らかになり意外な結末になります。映画のなかの前教皇はフランシスコ教皇をモデルにしたような改革派として描かれ、その改革的な施策が教皇選挙での次期教皇の選考にも影響するというシナリオでした。
その後4/21には、第266代ローマ教皇フランシスコが88歳で亡くなられ、4/26に葬儀が行われ、5月上旬にも教皇選挙が始まると報じられました。英国の小説を原作としたフィクションの世界とはいえ、ドキュメンタリ映画のように淡々と表現された、外部と遮断されたバチカンの密室(システィーナ礼拝堂)で繰り返される教皇選挙が、これからリアルに行われるかと思うと、興味がそそられます。
14億人のカトリック教徒を率いる新教皇にどのような人物がどういうプロセスを経て選ばれるのか、前教皇の、清貧を重んじ、問題を抱える現地を訪ね難民や貧困層などの社会的弱者に寄り添う姿勢や他の宗派、イデオロギーなどへの寛容な対話姿勢、反戦の必要性を説く姿勢、などがどう引き継がれるのか、が問われるとのこと。投票権のある世界中の枢機卿135人(80歳未満が条件とか)、また教皇庁内部には、12年の在位中のリベラルな改革に批判的な考えもあるそうですから。
フランシスコ教皇といえば、2019年の伊映画「ローマ法王になる日まで」(注1)が思い出されます。アルゼンチンのロック好きの青年ベルゴリオが、2013年に史上初の南北米大陸出身のローマ法王になるまでの激動の半生を、事実に基づいて再現したなかなか重々しい観応えのある社会派の映画でした。
フランシスコ教皇が亡くなられてから様々な追悼報道で伝えられる在位中の行動は、映像からうかがえる範囲ではありますが、それまでの自らの過酷な生い立ちから得られた考えを貫かれた、ありのままの姿勢だったようにも思えました。
なお、フランシスコ教皇は在位中に37回の旅をされ53カ国を訪れたそうです。旅する教皇に密着して撮影し制作された2022年の伊映画「旅するローマ教皇」というドキュメンタリ(注2)も残されています(私は見逃していました)。
このように、在位前、在位中、退位後と、それぞれで映画に近く、ご自身が意図されたかどうかは別にしても「映画になりやすい教皇」、「映画に好かれる教皇」という面もおもちだったようです。いち映画ファンとしては、映画というメディアを通しても教皇を知ることができ、大変に有難いことでした。

(注1) 映画「ローマ法王になる日まで」
2013年3月、コンクラーベのためにバチカンを訪れたベルゴリオ枢機卿は、運命の日を前に自身の半生を振り返る――。1960年、ブエノスアイレス。大学で化学を学んでいたホルヘ・マリオ・ベルゴリオは、神に仕えることが自分の道と確信し、イエズス会に入会し35歳の若さでアルゼンチン管区長に任命される。だがこの時期は、ビデラ軍事政権による独裁政治の時代。多くの市民が反勢力の嫌疑で捕らえられ、ベルゴリオの仲間や友人も、次々と命を奪われていく。この苦難の時代こそが、後にローマ法王に選出されるにベルゴリオの信仰の強さや勇気を、より強固なものにしていった。彼が愛した人々、彼を支えた人々と織りなす壮絶なドラマが描かれる。(映画.comの紹介記事から)
(注2) 映画「旅するローマ教皇」
難民問題と紛争に苦しむ中東やアフリカ、そして米国では平和について語り、イスラム教を国教とするアラブ首長国連邦や、被爆国である日本も訪問、さらにカトリック教会で起きた性的虐待について謝罪する姿も記録する。(同上)


映画「教皇選挙」チラシから

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