2024年10月29日火曜日

秋バラと柿展

 10/27には、翌日から雨模様の予報だったこともあり、曇り空の中、近くの横浜こども植物園に出かけました。ここのバラ園は地元では評判です。また、ここで日本各地の100種類近くの柿の木が植えられていて柿の房が彩を増すこの時期に毎年「柿展」が企画されます。 秋バラもさることながら、いち柿好きとしては異常気象のなか今年の成りも心配で見逃せません。
結果的には、係の方によると、それほど猛暑の影響は受けておらず、成り年の柿は平年並みに実をつけたそうです。ただ、年配の柿の木は影響を受けたそうで、どこか人間世界と共通しています。また、秋バラは猛暑によって夏の選定時期が遅れ、1~3週間遅れる模様とのことです。
ここは、それ程混むわけでもなく、自宅から1時間弱で来れる、私にとっては季節が楽しめる穴場です。バラ園には、春バラ、秋バラ、四季咲きが揃っています。因みに、四季咲きはもともと欧州にはなく、中国産がルーツだったそうです。
次の主役の菊も、片隅で、満を持しているようでした。
この日は、8,000歩コースでした。

(参考)1昨年同時期にもここを訪ねていまして、その記事は下記においています。

https://kinoken33.blogspot.com/2022/10/blog-post_23.html

今年5月にも春バラを観に来ています。

https://kinoken33.blogspot.com/2024/05/blog-post_25.html


モダンローズ

手前はキウイの木で、奥はブドウ園です。

ホトトギスとホシホウジャク(星蜂雀)。
蛾の仲間で尾の黄色の縞は蜂の擬態だそうです)

ホトトギスの撮影中に視界に飛び込んで
きました。






2024年10月25日金曜日

丹波の黒豆の枝豆

 舞鶴への帰省の際に、甥から「黒豆枝豆」というビニール袋詰めの丹波和知(わち)産の枝豆用黒豆を、お土産にいただきました。生産者も「大田」さんと表示されています。
早速に自宅で茹でて枝豆にしていただきました。
その様子では、茹でる前の黒豆のさやはよく見る普通の大豆よりは大きく、盛り上がりも大きく育っています。また、1/3くらいはさやに黒味がかかっています。
また、茹でた後の黒豆は、写真のように大粒でほとんどの外皮は「黒豆」らしくやや黒ずんでいますが、中身はきれいなグリーンで大豆と変わりません。味はいつもの大豆より濃く、大粒でなかなか食べ応えがあります。
よく正月料理などで見る乾燥した丹波黒豆は真っ黒で大粒なのが頷けます。
私には珍しく、あれこれ観察しながらも、ビールとセットで美味しくいただきました。


茹でたあとの黒豆の枝豆。大粒です。

茹でる前の黒豆

2024年10月22日火曜日

フェリーの見える海岸風景

 10/21舞鶴を離れる当日の朝、好天のもと、いつものように海岸を散歩してきました。
この日は、9,500歩コースでした。


小樽便新日本海フェリーのフェリーポート,
ポートの岸壁はよい釣り場でもあります。

海上自衛隊の舞鶴教育隊。経理関係の
教育機関とか。左奥はクレインブリッジです。

舞鶴西湾、東港を俯瞰できる五郎が岳
頂上にある展望台です。戦前の海軍の砲台
跡地です。時期によっては雲海が見えます。
手前は京都府中丹広域振興局。

小樽-舞鶴便フェリー「あかしあ」。
北前船の現代版とか。いまは、
ノンストップです。

左奥が五郎が岳展望台で右手前は
舞鶴市総合文化会館です。左最手前が
最近海べりにできた評判の鮮魚料理店
「魚源(ととげん)」さんです。
舞鶴東港全景。えらく波の静かな日でした。

JR東舞鶴駅。ここから高速バスに乗り
2時間弱で京都に出ます。

2024年10月20日日曜日

喜寿記念同窓会

 10/20には、東舞鶴の海岸沿いにあるホテル ベルマーレで高校同学年の喜寿記念同窓会があり、参加してきました。
参加者は96名で、この学年は昭和22年(1947)生れで団塊の世代初年度に当たり同期生が12組(1クラス 55人でした)、650名の時代でしたから、15%の参加率ということになります。喜寿記念にしては結構高い方ではないかと思います。幹事団によると、参加に前向きなリピータ(継続的な参加者)が多いとのことでした。また、18回生の同窓会はこれを最後にすると終了宣言が幹事団からありました。これまで様々な節目に10回ほど同窓会を開いてきましたが、80歳の壁を想定するとやむを得ない、妥当な判断と思いました。直前は71歳の時で6年前の「古希プラスワン」だったそうです。
これも、昨年癌で亡くなった幹事団の中心人物I君のお陰です。I君とは小学校後半からクラスが一緒で面倒見が良く、仲間を束ねる大柄の好漢でした。高校時代はともに水泳部に属し(彼は平泳ぎチームのエースでした)、その後、長く母校の体育の先生をしていました。感謝ばかりです。心よりご冥福をお祈りたいと思います。
会場では、最初はクラスごとのテーブル席でしたが、徐々に混線状態になり、後半にはごちゃごちゃになって、それぞれに懐かしい仲間と対面し懐しい話で大いに盛り上がりました。
それにしても、同窓生に、ペースメーカを入れたり、静脈瘤の血管手術をしたり、一方の腎臓を切除したり、大手術を経験した仲間が多いのには、驚きました。医学の進歩に乗っかって生きている年代(ある意味では、サイボーグでしょうか)なのかもしれません。また、それぞれに、親、事業者などとして世代継承の問題を抱えていました。

終了後も会場ホテル内に二次会の席も準備され、ここでも旧交をしっかりと温めました。


参加者名札の裏面。記念品だそうです。
18回生最後の集合写真。これまで様々な
節目で10回ほど同窓会を開いてきました。
これも、忙しい中 労を惜しまない故I君、
引き継いでくれたA君、K君他幹事団の
周到な準備のお陰です。感謝、感謝です。
写真はイメージで、ぼかしています。

会場のホテル ベルマーレ。右奥は、対岸に
停泊中の小樽便フェリー「あかしあ」です。

2024年10月17日木曜日

故郷の実家跡地のいまと海岸風景

 10/17には東舞鶴に帰省しました。今回は、主に、入院中の弟の見舞いと高校同学年の喜寿記念同窓会参加のためです。
まずは、実家跡地のいまの様子が、今年6月に人手に渡っているとはいえ気になり、立ち寄ってみました。
その後は、いつも通り海岸を自転車で一巡してきました。かつては見慣れた原風景のひとつのような気がします。
宿泊する松栄館には、ホールの2階に、「ちいさな鎮守府ものがたり」資料館が新たにできて、地元の協力で集められた舞鶴鎮守府の頃の生の資料が展示されています。
この日は、7,300歩コースでした。


舞鶴東港の海岸風景。三条海岸です。
右対岸は海上自衛隊舞鶴教育隊です。

クレインブリッジ「鶴の橋」と左側の
小樽便フェリーポート。七条海岸です。

宿泊する松栄館のホールです。ここが畳を
敷いた座敷だった頃の能舞台が残されて
います。ここの座敷ではよく法事をした
記憶があります。

松栄館の「ちいさな鎮守府ものがたり」
資料館には、東郷平八郎の墨書や軍刀など、
多くの遺品が残されています。地元の方々の
協力で集められた生の情報は、いち舞鶴出身者
にもなかなか新鮮でした。
東郷平八郎は、連合艦隊司令長官に任命
される前、舞鶴鎮守府の初代長官でした。
その頃には海軍御用達のここ松栄館、白糸、
松月の3料亭をよく利用したそうです。
当時の官舎が今も残されています。

手作り感のある資料館全景です。
地元からの情報の集積だそうです。

松竹梅の能舞台では、生前の父親もここで
謡曲を謡っていました。

実家跡地の様子。右隣では表出した壁面の
補修をされていました。

2024年10月16日水曜日

天王町の松沢商店街


 10/13には、孫のピアノ発表会が天王町の市民プラザであったため、参加する前に天王町を散歩してきました。
天王町は、相鉄線で横浜から3駅目で、JR東海道線保土ヶ谷駅からも歩いて10分程の便利なところです。駅近くにYBP(横浜ビジネスパーク)のオフィスビル群が立ち並ぶビジネスゾーンですが(駅からYBP専用出口があります)、一方で昔ながらの「松沢商店街」が残っているのが評判の地区です。この地域では、阪東橋近くで、亡くなられた桂歌丸師匠の生れ故郷でもある「横濱商店街」とともに、市民に親しまれています。
今回は、その松沢商店街を初めて訪ねてみました。天王町駅から10分程歩きます。
昭和の雰囲気が残る商店街で、私世代には安心して安く買い物ができ、寄り道しながらゆっくりと歩きたくなる場所です。
この日は、15,000歩コースでした。

(追加) 松沢商店街は、終戦直後昭和24年(1949)に米軍接収地が解除された松沢地区に一軒ずつ商店が集まりできた商店街だそうです。萩原醤油店が一号店で、1升の醤油に3合の景品を付けた安売りで評判になり、その後、乾物屋、八百屋、魚屋などが開店してできたようです。





商店街入口にある橘樹神社(たちばな)

松沢商店街の天王町駅側入口

追分市民の森でのコスモスの育成異常

 10/11には、追分市民の森を再訪しました。
驚いたことに、入口に掲示板が掲げられ、以下のような内容でした。

「コスモス畑について    
今年のコスモスは猛暑などの影響でうまく育てられなかったことから、展示を行っておりません。楽しみにされていた皆様にお詫びします。 
北部公園緑地事務所」

今年の猛暑に耐えられず、株が育たなかったようです。残念ですが、このところの異常気象が人間同様に植物への影響が深刻なことをあらためて感じます。
この後、久里浜のコスモス園に電話で様子を聞きましたが、同じように「今年は全く育っていない」とのことでした。ここ追分市民の森だけのことではなさそうです。
因みに、昨年のこの時期20231016にここを訪ねた時の記事です。

追分市民の森でのハチとコスモスとドローン
https://kinoken33.blogspot.com/2023/10/blog-post_50.html





(参考)
場所によっては順調に咲いた
ところもあるようです。京都丹波/亀岡の
「夢コスモス園」の800万本が見頃と、
帰省中10/19の京都新聞が伝えて
いました。なにかの機会に行って
みたい所です。

舞岡公園

 10/7には、俳句の会のベテランの方に、いつも散歩コースとされている戸塚区の舞岡公園を紹介され、歩いてきました。
戸塚駅からバスで10分程のところにある広い里山公園です。
もとの里山(地元では谷戸(やと)といいます)を市が公園にしたところで、もとの農家の数軒の屋敷を保存・修復し、建屋とともに農具などを展示しています。この日は、たまたま休館日でしたが。また、園内の営農地域では田んぼで日常の稲作が続けられています。この地域では、開発される前の風景を後世にできるだけ残そうとする意図でしょうか、営農者が市や県と協力して、実際の営農風景を一般に公開する、このタイプの公園をよく見ます。
この日は、12,000歩コースでした。




豊作で稲刈り直前のようです。




棉の双葉

 今年は5月10日頃に庭先に種子を植えた棉(わた)の木が、5月末には芽を出し双葉の形をしてきました。昨年収獲した綿花を1昼夜温水につけて綿から取り出した種子を使います。 発芽率は1〜2割で限られた種子しか芽吹きません。ようやく双葉になればなったでだんご虫でしょうか若葉を侵食します...