2024年3月31日日曜日

舞鶴市の市史改定作業への協力

 先回帰省の折に、地元紙の舞鶴市民新聞20240308版で、既刊の「舞鶴市史」全7巻から約30年を経て、再度、市史編纂の新たな取り組みを開始することを知りました。市政施行80周年の記念行事の一環だそうです。実家整理の中で、書架にこの既刊の7巻があり(各巻、かなりの大部でした)、市の図書館で引き取っていただいたことがありました。

その中で古い資料(ノート、和紙の冊子、日記、手紙など)や写真を募集するとともに、資料の整理作業等に当たる市民ボランティアを募るそうです。下記の市のホームページにも資料募集の記事が掲載されています。
先にこのブログでも紹介しました私製本「水兵さんの遠洋航海ー日露戦争直後のある青春ー」に関連して、今回の実家整理を経過して残されている一次資料や二次資料を、よい機会ですので、応募してみたいと考えています。

市史編さんにご協力ください(古い資料等の提供、ボランティアの募集) | 舞鶴市 公式ホームページ (city.maizuru.kyoto.jp)


港南桜道の陽光桜2024

3/31には、横浜港南区にある港南桜道沿いの桜並木が満開でした。
今年は染井吉野の開花が例年より5日遅れているそうですが、ここの陽光桜は昨年よりは10日くらい遅れています。昨年2023年は3/20頃が満開で、このブログにもアップしていました。2022年も同じ頃でした。

https://kinoken33.blogspot.com/2023/03/blog-post_19.html

港南桜道は自宅前の道でもあり、毎年、花見には重宝しています。品種は、樹齢80年の染井吉野から世代交代中の陽光桜です。この種は、アマギヨシノとカンヒザクラを交配して作られ、染井吉野よりも早く咲き、色が濃くて花が大きく、房になって咲くのが特徴です。
ただ、今年は恒例の提灯が、桜道コミュニティハウス近辺以外は設置されず、夜桜が観れないのが残念です。このところ、この時期風が強く、提灯が飛ばされることがありましたので、考慮されたのかもしれません。
そこで1句、

 園児列 足跡跳ねる 桜道      (兼題「跳ねる」)

 陽光や 古木を継いで 初桜    (当期雑詠)

南台小前。歩道左が陽光桜、右が染井吉野で
品種を違えた世代交代中です。


港南桜道。背景は上大岡市街です。
桃の花も見頃です。

舞鶴実家の解体工事が始まって9日目3/30の状況

 舞鶴での築83年の実家の解体工事を進めています。3/22から始まって9日目の3/30夕方の状況です。
この記事でも、現地で姉が撮影した写真を引用させてもらっています。
重機が入って2日目ですが、見た目の進捗は日々急です。重機は完全に敷地に入り工事が進んでいます。丁度2階で見えているのは、当方が高校まで過ごした表通り側の8畳部屋で「中の間」と呼んでいた部屋に当たります。その床の間に本棚が置いてあるのが見えます。表通り側の2階には南北に「北の間、中の間、南の間」と3部屋が並んでいました。ここまでで、2階の客間、北の間と中の間が撤去され、残るは南の間と書斎、風呂などの二つの張り出し部分だけになっています。
屋根も同時に取り壊され、資材はその都度、撤去されているようです。
おおよそ、母屋の過半は取り壊されています。

重機の前に見えるのは中の間の床の間です。
右奥に中庭にある石燈篭が見えます。
右下の土が積もっていますが、作業中の
水まきで土壁が固まったものと
思われます。

重機の正面に見える2階右奥は、次の間の
押入れが見えています。

2024年3月29日金曜日

舞鶴実家解体工事8日目の状況

 実家解体工事8日目3/29の状況がわかりました。
この記事でも、姉が現地で撮影した写真を引用させてもらっています。
この日から、重機が入り、表通りから、取り壊しを始めています。木の柱や梁が主ですから、一気に取り壊しが進むように見えます。




建屋の右側から、2階をも
含めた本格的な取壊しです。
1階駐車場、その上の2階表通り
北側の取壊しです。
2階北側の取壊しです。
放水しながらの
工事です。

舞鶴実家解体工事7日目の状況

 実家の解体工事が進行中ですが、工事開始7日目の3/28の状況について、現地で姉が撮影した写真が届きました。有難いと思っています。
工事としては、1階、2階の屋根瓦の撤去が終了したように見えます。また、表通り側のシートは、これからの重機搬入のためでしょうか取り払われています。


表通りの様子です。表通り
側のシートは、重機搬入に
備えるためでしょうか
取り払われています。

古い「俳諧歳時記」

 舞鶴の実家の取壊しまでに、2階にあった祖父、父の三畳程の書斎の中から引き取った書物が幾つかあります。そのひとつが、改造社の「俳諧歳時記」です。春、夏、秋、冬、新年の部の5冊編成ですが、なぜか夏の部が残っていませんでした。A5版500~700ページで、初版は昭和8年に高浜虚子、松瀬青青らによって編集・出版され、入手したのは昭和29~30年発行の改定増補版でした。季題は5冊合わせて4000語です。序文や凡例をみると、新しい季題(季語)は、「北海道、樺太、朝鮮、満州、台湾に亘って広く蒐集し…」とあり、創刊当時の時世を反映しています。また、例句が多いのも特徴の様で、各巻に8千~1万余件が収録されています。季題解説も丁寧に感じます。
この他にも、これまでに、一冊にまとまった水原秋櫻子編の「現代俳句歳時記」(B6版620頁、昭和53年改訂、大泉書店)やハンディ型の稲畑汀子編の「ホトトギス 季寄せ」(A6版、480頁、昭和62年、三省堂)を舞鶴から引き取り済みで、印刷された歳時記としてはこれで蔵書型からハンディ型まで、一通り揃ったことになり、大事に使いたいと思っています。歳時記は、最近始めた作句には必須ですが、季節に関する読み物としても飽きない常備品です。
さらに、このところ、電子辞書にも、角川俳句大歳時記、ホトトギス季題便覧、などが競って収録されるようになり、また、インターネットでも各種の季題サイトが参照できるようになってきており、便利なことに隔世の感があります。
あとは、どう自分の作句に活かせるかですが・・・。2週毎の投句に結構苦戦しています。


植物分野からは牧野富太郎も参加しています。

2024年3月27日水曜日

舞鶴実家の解体工事4日目の様子

 実家の解体工事4日目 3/25の現地の様子です。
この記事でも、姉と弟が撮影した写真を引用させてもらっています。
道路側には、建屋の幅で中2階程の高さからシートが掛かり、戸締りを兼ねているようにも見えます。側面は屋根の高さまで覆われています。
屋根瓦の取り外しが進んでいるようで、北側は屋根板も一部撤去されています。1階、2階の天井は取り払われ、2階床も中央部ではなくなっています。
2階建建屋全体の外側の骨格だけを残して、内部の木製部分を含めた取り外しが行われているように見えます。
今回、道路側の母屋と奥の離れも同時に取り壊しを予定していますが、先に母屋を取り壊してから離れに移る段取りの様で、この時点では、解体工事はこれからです。


道路側に戸締りを兼ねたシートが掛けられて
います

屋根、天井、床が一部
取り払われています。

2024年3月26日火曜日

舞鶴実家の解体工事開始

舞鶴で実家の取壊しを進めていますが、 3/22からは、残置物撤去が終わった後の建屋そのものの解体・撤去工事が始まりました。本ブログ記事では、現地で姉と弟が撮影した写真を、厚意で引用させてもらっています。
写真から見えるのは、最初の工程として、建屋内で、1,2階の窓アルミサッシや店舗の扉などを外し、ガラスを取り出した後、枠を搬出しています。また、畳、襖や障子も撤去されています。
建屋の外では、シート装着、足場の設置の準備のためでしょうか、鉄パイプで建物を囲むように枠組みが造られています。
取壊し・撤去対象ごとに様々の業者が絡んだ工事のようです。初日一日で結構進むものだと思いましたが、しばらくは進捗を見守りたいと思っています。


建屋の外回りを覆うパイプが持ち込まれて
います。

長く道路側を店舗として
賃貸していました。

車庫から中庭が見えます。

仏間の畳も撤去されて
います。

中庭にはガラスを取り外されたアルミ
サッシが積まれています。

鉄パイプによる建屋の囲いが始まっています。

2024年3月25日月曜日

年代物の遺品

舞鶴で遺品の整理をする中で、ちょっと変わった値打ち物を見つけました。台所を整理する中で見つけた、ウィスキー「スーパーニッカ」とVSOPコニャック「ナポレオン」です。製造年は記されていませんが、親父の生前のものと考えられ、今年で他界してから34年経ちますので(この3/10に33回忌の法要を行いました)、少なくとも34年以上前の、えらく古い年代物ということになります。酒好きだった親父を思い出しながら、深夜にも、昭和の名残のような酒を、遺品のグラスで、じっくりと味わいたいと思っています。
また、これに合わせて、岡山の特産で、岡山県高梁市の親戚からいただいた「烏城彫り」の丸盆も出てきました。大木の木目を活かして、野菜などの簡素な堀りが特徴的な、素朴な民芸品です。
生れた経緯をみると、「昭和12年、岡山陸軍病院(岡山国立病院)では支那事変の傷病軍人の就職指導、救済活動の一つとして烏城彫を始め、指導者として木口九峰(華道、茶道、尺八を愛好し、自身の茶器に彫りを入れていました)を迎えました。こうして「傷ついた方々の社会復帰の助けになれば…」と烏城彫指導が始まりました。…」とあります。作風は鎌倉彫りにも似ています。

烏城彫生みの親|岡山特産 烏城彫(うじょうぼり)~日本の手づくり漆器~ (ujobori.co.jp)


烏城彫りの丸盆

舞鶴実家の取壊し工事開始 ー残置物処理がほぼ終了ー

ここ3年程、舞鶴にある実家(母屋と離れがあります)の取壊しを姉兄弟と相談しながら進めてきました。その工事が、3/16〜4/13の予定で始まりました。
工事は、2段階に分けて行われます。
最初に、親族で遺品類を持ち出した後に家屋に残された「残置物」の分別処理・撤去が、3/16〜3/21の間の4営業日で行われます。思いのほか短期間でできるものです。
それが終わると、次の段階として、屋根瓦、ガラス戸、アルミサッシ、鉄器類の取り外し・撤去が行われた後、残された建屋躯体の解体工事が、3/22〜4/13の工期で重機によって行われることになっています。
昭和16年(1941年)9月に、前年に類焼で焼失した家屋を再建してから83年の歳月を経た建屋を取壊すのは、これまで生まれ育った拠点を失うようで、これまでの検討の間も、姉兄弟の間でも、ある種の喪失感との戦いでした。そのなかで、まだ実家が生活空間として機能するうちに、祖父が思いを込めた建物の「正常な終了処理」をすることにしました。ただ、それに先立つ段取りとして、解体までに、親戚への事前説明など、気になる、思い当たる手順、前さばきを一通りこなしたうえで、また、遺品整理の時間を十分とり、思い残しを極力減らしたあと、さらには、我々孫世代が元気なうちに(次の世代には渡さず)、思い切って、実行することにした次第です。
それでも、複雑な気持ちは残るものですが、あとは時間の経過で緩和することになると思っています。これからは、工事の進捗を、静かに見守りたいと思っています。この日3/17には、日頃お寺詣りをまめにする方ではない私ですが、思わず、檀家寺の得月寺本堂にある先祖の位牌の前と、寺の傍にある先祖代々の墓の前で、これまでの経過と取壊し工事の開始を報告してきました。
以下の写真は、残置物処理の3日目の整理がほぼ終わった段階の模様です。

電気設備の撤去作業中でした。

残置物処理がほぼ終了した段階の母屋の
様子です。

2024年3月22日金曜日

古民家の活用「空顕舎」

舞鶴滞在中に気になる古民家があります。実家から300mほど北に行ったところにある、かって高校時代のある友人の家で、当時何度か訪れたことがありました。
そこが、「空顕舎(くうげんしゃ)」という一級建築士事務所になっていました。ちょっとこだわりのありそうな名前です。門構えは、アルミサッシに代わっていますが、ほぼ以前のままで、長く空き家になっていると思っていましたが、気が付いたのは、実家の整理でよく帰省するようになった5年くらい前からです。人出にであったことはありませんが、古民家に、玄関に木製の簡単な看板を掲げるだけで、恐らく、内装、屋内設備は大幅に変えられたかもしれませんが、こういう使い方もあるのかと感心しました。建築事務所は、古民家活用先としては合っているのかも知れません。もし、かつての友人がやっているのであれば尚更です。
古民家を抱えていた私としては、こういった古民家活用事例、成功例は気になるところです。ホームぺージでは詳細はわかりませんでしたが、注目したいと思っています。


東舞鶴の浜地区にある「空顕舎」

一級建築事務所「空顕舎」

2024年3月20日水曜日

今どきの戸籍の移動


 近く舞鶴の実家の建屋を取り壊すことを予定してます。これに伴い、これまで実家の住所を長く自分の戸籍としてきましたが、戸籍を今の現住所に移すこと(転籍)にしました。その手続きを今の帰省中にと思い、舞鶴市役所の市民課に聞きにいきました。
その結果では、この3/1から、手続きが大幅に便利になったようです。
要点は以下の通りでした。

・転籍届の提出は、これまで転籍元の市役所でしかできなかったそうですが、今後は転籍元、転籍先のいずれでも可能になります。

・これまでは、本人、配偶者の署名と捺印が必要でしたが、今後は、署名だけでOKで、捺印は不要とのことです。

、手続きに要する期間が、少なくとも数日は要していたところが、即時に転籍が可能となります。これまでは、転籍元から転籍先に、転籍先が実在する場所なのかをその都度問い合わせて確認していたそうです。

ただ、戸籍情報に転籍の履歴が増えるため、戸籍謄本等申請時の費用が若干上がるとのことでした。
最近、このようなシステムになったのであれば、早速にも横浜での港南区役所で即時に済ませたいと思っています。ようやく全国的に戸籍管理のシステムが繋がったようです。

その後、市役所裏の岸壁から、海上自衛隊舞鶴総監部の様子を見てきました。最近は、艦船の大型化と艦船の形状がレーダー感知を回避するために直線化しています。また、ヘリや上陸用大型ボートを輸送する「輸送艦」が増えているのを感じます。

転籍届。これ1枚で即日にOKだそうです。
市役所裏の岸壁から。
艦船の大型化と直線化を感じます。

横浜開港記念日と横浜開港祭2025

 6/2は、1859年に日米修好通商条約(注)により横浜が開港されたことを記念する横浜開港記念日で、市内の小学校は休校でした。これに因んで5/31-6/2には横浜開港祭2025が臨港パークを中心にみなとみらい21地区ほかで行われ、様々なイベントに多くの子供連れで賑わいます。今年が...