2025年4月30日水曜日

千葉公園の大賀ハス園

4/30には、西千葉で用があり、早めに着いたので、千葉市街にある千葉公園を訪ねました。
JR千葉駅千葉公園口から歩いて15分ほどのところにあり、ドームや体育館など幾つかのスポーツ施設を含む広い総合公園です。千葉都市モノレールの「千葉公園駅」も真ん前にあり便利なところです。旧千葉競輪場の跡地を活用したとか。
興味があったのは、ここの蓮池は、大賀博士らが、古代ハス(のちの大賀ハス}の種子を近くの検見川(けみがわ)で見つけ、ここで育てられて発芽した場所(注1)、と写真仲間から常々聞いていたため、いつか現地を訪ねたいと思っていました。イベント予定によると6月21~29日には「大賀ハスまつり」 がここの蓮華亭周辺で行われるそうです。その頃には再度足を運びたいと思います。
この日は、10,000歩コースでした。
因みに、昨年2024年4月にも西千葉を訪ね、その時には千葉ポートタワーを巡りました。当ブログに下記のような記事をアップしていました。



大賀ハス園と蓮華亭
開催された「国際花と緑の博覧会」に千葉市が
「千葉市ふるさとの庭」として展示した
モニュメントをここに移設しているとのこと。
2027年に横浜で開催予定の「横浜花の博覧会」
に類似した37年前の高度成長期最後のビッグ
イベントだったようです。

千葉JPFドーム(TIPSTAR DOME CHIBA)。
公営屋内競輪場で、日本初の国際規格
準拠だそうです。

公園入口の弁天様 厳島神社


(注1) 大賀ハス
大賀ハスは、1951年(昭和26年)に千葉市検見川にある東京大学検見川厚生農場の地下6mの泥炭層から発掘された一粒の縄文時代のハスの種子から育てられたハスの品種です。大賀一郎博士を中心としたグループが発掘し、発芽・開花させたことから、この名で呼ばれています。約2000年前の種子から育てられたことから、「古代ハス」としても知られています。(公園HPから引用・編集)

(注2) 大阪市鶴見緑地
鶴見緑地には2022年6月にも、たまたま大阪で用があって空き時間に立ち寄ったことがありました。好みは争えないといいますか、暗黙のうちにも同じような趣向のスポットを各地で巡っているようです。当ブログに以下のような記事をアップしていました。

2025年4月29日火曜日

藤と牡丹

4/29には、大船フラワーセンタで藤と牡丹が見頃と聞き、散歩してきました。
時期的にはピッタリで、この日は昭和の日でしたので、多くの家族連れで賑わっていました。
好天にも恵まれてしっかりと初夏を満喫してきました。
この日は、10,200歩コースでした。






















モッコウバラは開花直前でした。バラは
ここでの次の主役です。

大池の睡蓮も、今回は引き立て役でした。

評判の藤棚です。

2025年4月28日月曜日

いまどきの旬魚と旬菜

 4/26には大船の市場で、いまどき旬の魚と野菜を目にしました。この時期からお目にかかる島根産のフエフキダイと岩手産のアイナメ、そして美味しそうな空豆です。
かつて熊本に行ったときに地元の仲間に「この辺りではこの時期から旨くなる魚」とフエフキダイを飲み屋で紹介されて、関東で食べる鯛とはまた違う脂ののった上品な味と鮮明な色合いをはじめて知った記憶があります。見かけも口が長く飛び出ていて肉厚です。この日は、アイナメを買って帰り、自分好みの味付けの煮付けでいただきました。いつもより小型でしたが(これは最近の魚介全般にみられる顕著な傾向で心配ししています)、このところ岩手、宮城、福島の魚は極力食べるようにしています。因みに、アイナメ(鮎並)は三夏(5~7月)の季語だそうです。

そこで、一句、

鮎並の煮付けに想う磯の引き

故郷の舞鶴では、アイナメは磯釣りで釣り応えのある、この時期の代表的な魚でした。いまは量が減っていると聞きます。
また、空豆はこの時期定番ですが、魚屋の近くの定食屋さんのメニューから真っ先に「焼きそら豆」をオーダーして、私には今年の初物でした。空豆も初夏(5月)の季語とか。

空豆や焼いて塩して福のあて

この日は、7,000歩コースでした。

島根産のフエフキダイです。

岩手産のアイナメです。鮮度を保つために
活き〆されています。

焼き空豆。美味でした。

空豆は丸々として良い色艶でした。

2025年4月26日土曜日

五月人形と牡丹

 近くの本郷ふじやま公園では、端午の節句にあわせて毎年「五月人形飾り」が企画されます。近所からの寄贈などで集められた五月人形が陳列され、いつもなかなか見応えがあります。4/24の散歩では、雨上がりの中を訪ねました。自宅からバスを含めて小1時間ほどのところにあります。
私の故郷舞鶴の実家でも、小学生の頃まで、ちょうど今頃でしょうか、蔵出しした人形を床の間に飾ってもらって嬉しい気持ちになった記憶があります。こんなに立派な人形ではありませんでしたが、代々引き継がれてきた随分と古風で面長な顔つきの武将の人形だったように覚えています。

そこで、一句、

あの頃の武者人形や古屋敷

会場の古民家の門前には、丁度おられた運営ボランティアの方によると、今朝咲いたばかりの牡丹が見頃でした。
また、ここは変化朝顔を育てる評判の場でもあります。5cm程に育った苗のポットが並んでいました。夏が楽しみです。
変化アサガオについては、昨年2024年8月にここを訪ねて下記のような記事をアップしていました。

「変化朝顔」とオクラに瓢箪ー夏の風物からー

この日は、8,300歩コースでした。

五月人形あれこれ。最近は丸々とした
若武者の人形が多いようです。

ほぼ実物大です。ここまでくると
人形ではなくなります。





裏庭では変化アサガオの苗も成長中でした。

牡丹も満開でした。花弁に残る雨粒も
印象的でした。

今朝咲いたばかりの牡丹とのこと。傘は
日除けだそうです。

裏山の梅林では、梅に実が色づいていました。
早いものです。

古民家長屋門前の牡丹と日焼けを防ぐ日傘

2025年4月24日木曜日

ローマ教皇にまつわる映画「教皇選挙」と「ローマ法王になる日まで」

 4/10には、2024年の米英映画「教皇選挙(Conclave )」を上大岡のTOHOシネマで観てきました。映画では、教皇が亡くなられ次期教皇の有力候補が4人いてそれぞれに問題があり、1度目の教皇選挙の投票では2/3の必要獲得数を超えた候補はいなくて翌日の再投票に。投票用紙は燃やされ、未定は黒い煙、決まれば白い煙がのぼって人々に知らせます。繰り返される投票の間にも様々なスキャンダルが明らかになり意外な結末になります。映画のなかの前教皇はフランシスコ教皇をモデルにしたような改革派として描かれ、その改革的な施策が教皇選挙での次期教皇の選考にも影響するというシナリオでした。
その後4/21には、第266代ローマ教皇フランシスコが88歳で亡くなられ、4/26に葬儀が行われ、5月上旬にも教皇選挙が始まると報じられました。英国の小説を原作としたフィクションの世界とはいえ、ドキュメンタリ映画のように淡々と表現された、外部と遮断されたバチカンの密室(システィーナ礼拝堂)で繰り返される教皇選挙が、これからリアルに行われるかと思うと、興味がそそられます。
14億人のカトリック教徒を率いる新教皇にどのような人物がどういうプロセスを経て選ばれるのか、前教皇の、清貧を重んじ、問題を抱える現地を訪ね難民や貧困層などの社会的弱者に寄り添う姿勢や他の宗派、イデオロギーなどへの寛容な対話姿勢、反戦の必要性を説く姿勢、などがどう引き継がれるのか、が問われるとのこと。投票権のある世界中の枢機卿135人(80歳未満が条件とか)、また教皇庁内部には、12年の在位中のリベラルな改革に批判的な考えもあるそうですから。
フランシスコ教皇といえば、2019年の伊映画「ローマ法王になる日まで」(注1)が思い出されます。アルゼンチンのロック好きの青年ベルゴリオが、2013年に史上初の南北米大陸出身のローマ法王になるまでの激動の半生を、事実に基づいて再現したなかなか重々しい観応えのある社会派の映画でした。
フランシスコ教皇が亡くなられてから様々な追悼報道で伝えられる在位中の行動は、映像からうかがえる範囲ではありますが、それまでの自らの過酷な生い立ちから得られた考えを貫かれた、ありのままの姿勢だったようにも思えました。
なお、フランシスコ教皇は在位中に37回の旅をされ53カ国を訪れたそうです。旅する教皇に密着して撮影し制作された2022年の伊映画「旅するローマ教皇」というドキュメンタリ(注2)も残されています(私は見逃していました)。
このように、在位前、在位中、退位後と、それぞれで映画に近く、ご自身が意図されたかどうかは別にしても「映画になりやすい教皇」、「映画に好かれる教皇」という面もおもちだったようです。いち映画ファンとしては、映画というメディアを通しても教皇を知ることができ、大変に有難いことでした。

(注1) 映画「ローマ法王になる日まで」
2013年3月、コンクラーベのためにバチカンを訪れたベルゴリオ枢機卿は、運命の日を前に自身の半生を振り返る――。1960年、ブエノスアイレス。大学で化学を学んでいたホルヘ・マリオ・ベルゴリオは、神に仕えることが自分の道と確信し、イエズス会に入会し35歳の若さでアルゼンチン管区長に任命される。だがこの時期は、ビデラ軍事政権による独裁政治の時代。多くの市民が反勢力の嫌疑で捕らえられ、ベルゴリオの仲間や友人も、次々と命を奪われていく。この苦難の時代こそが、後にローマ法王に選出されるにベルゴリオの信仰の強さや勇気を、より強固なものにしていった。彼が愛した人々、彼を支えた人々と織りなす壮絶なドラマが描かれる。(映画.comの紹介記事から)
(注2) 映画「旅するローマ教皇」
難民問題と紛争に苦しむ中東やアフリカ、そして米国では平和について語り、イスラム教を国教とするアラブ首長国連邦や、被爆国である日本も訪問、さらにカトリック教会で起きた性的虐待について謝罪する姿も記録する。(同上)


映画「教皇選挙」チラシから

2025年4月21日月曜日

ネモフィラの丘と久里浜港

 4/21には、久里浜港に面した高台にある「横須賀 くりはま花の国」公園でネモフィラが見頃と聞き、出かけました。京急久里浜駅から入口までは25分、ハーブ園まではさらに30分程と結構歩きます。園内を走るフラワートレインに乗ると入口から10分程です。
くりはま花の国では、入口近くは秋に備えたコスモスを養生中で、その上を気持ちよさそうに鯉が泳いでいました。そこからひと山越えたところにあるハーブ園内の天空の丘でネモフィラが丁度見頃でした。
そこで、一句、

ネモフィラや青き小人のカーニバル

鯉のぼり揺れる思いの吹き流し

帰路にはハーブ園を下り、すぐ近くの久里浜港に出て、ペリー公園(注)や久里浜と金谷を繋ぐ東京湾フェリーのフェリーポートを久々に巡ってきました。
この日は、上り下りの14,600歩コースでした。最近はこのくらい歩くと少々疲れます。


天空の丘のネモフィラ園

養生中のコスモス園の上を泳ぐ鯉のぼり

ハーブ園にて

右奥は養生中のポピー園です。





背景は久里浜市街、奥右側が久里浜港になります。



くりはま花の国公園
ぺリー公園。右奥はぺリー記念館です。
残念ながら記念館はこの日休館でした。

東京湾フェリー「かなや丸」。最近、夏夕の
往復便で船上ビヤガーデンが開店します。地元
では2時間弱海風に吹かれる人気コースです。
東京湾フェリーのフェリーポート。かつては
南千葉のゴルフ場にここからよく通いました。
久里浜港南側。久里浜-金谷フェリーと釣船の港
です。背景は東電の久里浜火力発電所です。

久里浜港全景。正面奥は東京湾浦賀水道です。

(注) ペリー公園
日本の歴史公園100選に選ばれている。1853年(嘉永6年)7月14日に米東インド艦隊司令長官ペリーの一行が久里浜港に上陸し、幕府が米大統領の親書を受取り、約220年間続いた鎖国制度に幕を下ろすはしりとなった。
なお、その6日前の7月8日にミシシッピー号他4隻が浦賀沖に突然現れ(入港)、浦賀奉行所に、新たな太平洋航路を経由した日本や清国との通商と石炭補給拠点の確保を求める親書の受取りを要求していた。幕府は、戦争を回避するため浦賀奉行の申出に応じて久里浜での受取りを決断した。(ペリー博物館の資料から)
⇒どうやら、ペリーの日本での初入港は浦賀港、初上陸は久里浜港、条約締結は横浜港(関内)だったようです。

「京橋の碑」と紫陽花

 6/2午後には、7月の写真展への出展作のプリント色合わせのために、Fフォトギャラリー銀座を再度訪ねました。 その帰路には、銀座の隣町の京橋に出て、JR東京駅まで歩きました。途中、銀座中央通りと首都高速の交差点で、街中で咲き始めたばかりの紫陽花を見かけました。 ここは、江戸期には...