4/29には、近くの本郷ふじやま公園の中にある古民家「旧小岩井家住宅」で展示中の「五月人形飾り」を観てきました。一般家庭で保存されていた五月人形が寄贈されるケースが最近増えているそうです。なかなか立派な人形が20体程展示されています。
その後には、園内を一巡し、晩春の草花を楽しめました。
モミジの開花が過ぎ、赤い花から出たばかりの、ブーメランのような形をした、モミジの実である翼果(よくか)がピンクに色づいていました。これから、紅葉の頃に翼果は茶色に変色し風に飛ばされてくるくると回りながら種子が遠くに運ばれていくそうです。
また、この公園の指定管理団体の係の方と話す中で、珍しい蘭が今が見頃だと知り、案内してもらいました。金蘭(きんらん)という品種で、育つ場所を選ぶそうで、ここでは5株ほどが大事に育てられていました。
この日は、6,600歩コースでした。
2024年4月29日月曜日
本郷ふじやま公園の五月人形飾りと金蘭(きんらん)
2024年4月27日土曜日
舞鶴田辺城と細川幽齊資料館
日は少々さかのぼりますが、先回帰省中の4/12には好天のもと、西舞鶴にある舞鶴公園の桜と園内の彰古館にある細川幽齊(ゆうさい)の資料館を訪ねました。西舞鶴駅から北に15分程歩いたところにあります。ここは、田辺藩の天守閣の跡に造られた公園で、近くを通るJR舞鶴線の車窓からもよく見え、かつては桜の見どころでもありました。これまで、私が列車で、ひとつ先の東舞鶴まで帰省するときも、田辺城址をみると「ああ、帰ってきたな」と実感する場所でもありました。舞鶴という地名は、田辺城が、舞う鶴に似ていたことから「舞鶴城(ぶかくじょう)」と呼ばれていたそうで、これに由来するそうです。
田辺城は、天正8年(1580年)に細川藤孝(のちの幽齊)、忠興(ただおき)親子によって縄張りされ、天正10年代に完成したそうです。その後、忠興が肥前に転封となり(その後熊本城主となります)、細川家の後を、京極家さらに牧野家が継いで、明治初期に廃城になるまで存続しました。
今回は、舞鶴でいまも愛着を持たれている安土桃山時代の武将であり文化人であった細川幽齊の人となりをあらためてひと通り知っておきたくて、一巡してきました。ここは、コンパクトに整理して、主に残された写真で時代を追って紹介していた記憶がありました。本能寺の変や関ヶ原の戦いの現場にいて、両者のすぐそばで、メインのストーリーとは別にサイドストーリーとして起こった運命的で困難な状況を、歴史に残る、独自の判断で乗り越えています。丹後という小藩の藩主であった細川幽齊、忠興にとってはまさに「もう一つの本能寺の変」であり、「もう一つの関ヶ原の戦い」であったようです。親子は、それらに主役として大きな決断をしながら必死で向き合っています。激動の時代に、戦乱に翻弄されながらも和歌、茶道や能楽を愛して真摯に、人間らしく生きた一生だったようです。このようなところに、400年前の人が地元でいまも敬愛され、多くの研究が残る訳があるように思いました。
因みに、父の遺品にあった土田将雄著「細川幽齊の研究」(笠間叢書61)も、この展示の監修に当たっての参考資料として挙がっていました。
また、大手門の2階には、細川家、京極家、牧野家の資料も整理されており、郷土史をおさらいするには参考になります。
この日は、8,200歩コースでした。
「心種園」(しんしゅえん)があります。
今は所在を示す遺跡と松が残っています。
2024年4月26日金曜日
千葉ポートタワーからの眺望
4/25 には、西千葉で用があり、その前泊で千葉みなと駅前のホテルに泊まりました。その海に向かった部屋から、斬新な、背の高いタワービルが目につきました。調べると「千葉ポートタワー」で、千葉県民が500万人を突破したことを記念して昭和61年(1986年)に建てられた高さ125mの展望施設とのこと。いつも見る、横浜のマリーンタワーは106mですから、はるかに高く見えます。所用を終えた後に戻って、訪ねてみることにしました。千葉都市モノレール、京葉線の千葉みなと駅から歩いて20分程のところにあります。
このビルは、一見、ガラス張りのオフィスビルのように見えますが、実は、水平面が菱形の千葉港の標識塔・展望塔で、オフィスが入れるほど広くはありません。113mの高さの展望台(「4階」といわれています)、そのすぐ下の3階には簡単なレストラン、そのすぐ下の2階にはイベント会場があるだけで、そこまでは長い鉄骨だけの空洞でした。1階には、管理事務所、土産物売り場とエレベータの入口があります。係の方から「4階建て」と聞き、随分と足長の4階建て、と驚きました。
見晴らしはまさに360°の眺望で絶品です。西側の海に沈む夕日や港を見下ろす風景は素晴らしいものでした。
確認したところ、ここは、千葉に住む写真仲間が海岸越に富士山や夕陽を日頃から撮影しているお気に入りのパワースポットだということがあらためてわかりました。
この日は、15,000歩コースでした。
2024年4月24日水曜日
大岡川の今年の桜その2ー下根橋コース
大岡川には、もうひとつ、地元住人ならではの桜スポットがあります。それは、最寄りの地下鉄駅「港南中央」のすぐ近くにある見所です。ここは、桜を、大岡川のやや上流にかかる下根橋の上から見下ろすように撮影でき、また桜を真横から近接撮影、マクロ撮影ができる場所です。
この日4/7は、翌日から帰省をひかえてゆっくりできず、夕方5時頃に急ぎ訪ねました。
2024年4月23日火曜日
大岡川の今年の桜ー弘明寺〜蒔田コースと板東橋〜日ノ出町コース
少し前になりますが、アップし残していた桜風景がありました。
4/4には、すぐ近くの大岡川の桜のお気に入りの場所を一巡して散歩してきました。今年の桜は開花が前年より5日程遅れましたが、それもあったのでしょうか、咲き方が木や区域によってまだらで、満開のところもあればこれからというところ○ありました。横浜港南区から桜木町に注ぐ大岡川は、最寄りの上大岡から下流では、弘明寺(ぐみょうじ)〜蒔田(まいた)、坂東橋(ばんどうばし)〜日ノ出町の区間で川の両側に咲く桜が評判で毎年賑わいます。ただ、今年は、屋台や夜店の出店はなく、コロナ前のいつもとは変わりましたが、花見に専念できるようになったかもしれません。
この日は、15,100歩コースでした。
2024年4月21日日曜日
根岸森林公園の桜
4/7には、三渓園の帰路、根岸駅でバスを乗り換え10分程行ったところに根岸森林公園があり、4時頃でしたが、立ち寄ることにしました。ここは、三渓園とはまた趣向が異なり、もともと幕末からの居留地にいた外国人が始めた競馬場だった場所に(園内には、JRAが管理する、なかなか豪華な競馬博物館があります)、戦後、広い広場を造ったところです。奥の丘いっぱいに伸び伸びと咲く桜を芝生に座りながら楽しめます。この日は、丁度見頃で、テント持ち込みを含めて、多くの家族連れで賑わっていました。
「京橋の碑」と紫陽花
6/2午後には、7月の写真展への出展作のプリント色合わせのために、Fフォトギャラリー銀座を再度訪ねました。 その帰路には、銀座の隣町の京橋に出て、JR東京駅まで歩きました。途中、銀座中央通りと首都高速の交差点で、街中で咲き始めたばかりの紫陽花を見かけました。 ここは、江戸期には...
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長く地元で行きつけの飲み屋のひとつになっていた「養老の滝 蒔田店(まいた)」が29年間の営業を3/20で終了することになったことを知りました。市営地下鉄蒔田駅前に入居するビルの取壊し計画が具体化したこととコロナ禍以降の諸物価の値上がりで経営が急速に厳しくなったことが原因だそうで...
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3月央の取り壊し工事に先立って舞鶴実家に残された遺品類について、最後の整理を進めています。 その中でユニークなのが私製本の「水兵さんの遠洋航海 ー日露戦争直後のある青春ー」の大量の原稿です。 1978年(昭和53年)に、父が祖父の海軍舞鶴海兵団従軍中の日誌を13年かけて清書し、...
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2/8には、高校時代の関東在住者の同期会がありました。名目は「喜寿記念会」で、17人が集まり、同期生の消息、懐かしい話や終活の話などで、賑やかに愉しみました。福知山、京都在住の遠来者もかけつけてくれましたが、この日は米原ー名古屋間が雪で遅れ、1時間遅刻した参加者も出るほどでした。...